秩父へ越してきて一年近く経った八月のある日、開けた窓から風に乗って流れこんだ爽やかでも甘くもある濃厚な匂いには覚えがあった。ジャスミンをより野性的にしたような香りが暑く湿った空気に充満して、嗅いでいるとちょっと朦朧としてくる。家の裏の藪か、その藪をくだったところにある公園から来ていると目星をつけて確かめに行くと、藪と公園の境目に並んで生えた低木に、淡い紫がかったピンクの花房がついていて、これが正体だった。
その数年前、高知に用があったついでに宿毛を訪れた。九月初めで、台風が何日も付近に停滞していた。宿毛に足を伸ばしたのは大原富枝の『婉という女』の主人公でもある野中婉が幽閉されていたかつての陸の孤島にして流刑地だからという以上の理由はなかったので、予定があるわけでもなく、ただやみくもに歩いた。宿毛湾にある小さな島を意味もなく一周しているとき、何かの花の強い匂いが、台風の気圧とともに押し寄せてきた。なんの花だかわからないまま、空気の重さに酔ったようになって歩いていた。
波止場に出て、地元の小学生に、釣りあげたばかりの小さな透き通った烏賊を見せてもらったのは、その前だったか、後だったか。ともかく、あのときの匂いはクサギだったことが、秩父へ来てわかった。
クサギは臭木とも常山木とも書く。全国に見られる落葉小高木で、葉を触ると臭気があるというが、悪臭というほどではなく、ビール酵母のような匂い。秋になる青い実は染料になるというし、暗い葉の色も好きなので、家の庭にも生えるといいな、生け垣にならないかなと思っていたら、なぜか翌年あたりから敷地の端に本当に並んで生えてきて、何もしていないが生け垣になった。そして夏になると、すぐ近くから、匂いが漂ってくるようになった。
なぜ東京から秩父に引っ越したのかと、よく聞かれる。答え方はいろいろあるが、いい匂いを嗅いでいたかったという理由は大きい。下水と排気ガスとセメントとアスファルトと樹脂と化学薬品と吐瀉物の臭いが逃げ場をなくして巨大な擂り鉢の底に溜まっているのは、そのなかに潜ってしまう快楽があるのも真実だが、呼吸は浅くなる。
夜、帰ってくると、電車を降りた瞬間に山の匂いがする。周りが真っ暗でも、戻ってきたなと匂いでわかる。自転車を漕ぎ出せば、冷たい風とぬるい風が交互に吹き、人間活動の残り香は草に呑みこまれていく。