連載|山影の町から 03

野原の推移

©️Kasama Naoko

 この秋は隣の空き地が朝顔に覆われた。九月に入って以来、濃いピンクから赤紫、ときには青紫も交じる鮮やかな色合いの花がどんどん増えていく。調べると、葉の形がまるいことからマルバアサガオといい、元々、九月や十月に咲くものらしい。

 去年までは目に留まらなかったマルバアサガオが、今年になっていきなり増殖したことに驚いたが、とはいえ、脈絡の見当は容易につく。朝顔が咲きはじめるひと月ほど前のある朝、シルバー人材センターのライトバンで農作業姿の一団が空き地に降り立ち、七、八人はいただろうか、炎天下、一日かけて隅から隅まで草を抜いた。あれほど草の生い茂っていた場所が、のっぺりと土を晒すばかりとなったのを、しばらくは寂しく眺めていたが、じきに新たな草が生えてきた。

 つまり、マルバアサガオの種は以前から土のなかにあったのだが、丈高く密生する夏草のせいで地表に陽が届かないので、芽吹くことはなかった。ところが、もっとも草の勢いの激しい時期に、土地が丸裸になったせいで、ちょうどその時期に芽吹く植物の種だけが一挙に芽を出し、邪魔されずにすくすくと育ったのだ。

 そもそも、この空き地はここ数年、完全に放置されていた。草が伸び放題なのはいいとして、実生の木の成長が目立ち、特に家との境界近くに生えた二本のニワウルシが二十メートルほどの高さになって、こちらへ傾いできたため、近所に聞いて判明した土地の管理者に電話をかけて、状況を話したのだった。

 高齢のために管理がおろそかになっていたそうだが、すぐに見に来て、木を伐り草を刈る手配をつけてくれた。そのときに、今後はちゃんと草を取って除草剤を撒くから、と言われたのを、除草剤はちょっと……とわたしは思わず渋い顔をした。それで除草剤をやめて大勢での草取りを依頼したのかもしれない。もし管理者に電話をかけなかったら、もし除草剤に賛成していたら、と思うと、朝顔の絨毯出現に、こちらも知らないうちに貢献したことになる。

 野草との関係は、常に、そういうところがある。たとえば、葉が大きく丈も立派な草が庭のあちこちに生えてきた年があった。しばらく様子を見ていたが、花をつけたあたりで、ヨウシュヤマゴボウだと気がついた。そこで思い当たる。前の年に、家の裏に一本生えたヨウシュヤマゴボウの実が面白かったので、房をひとつ取ってきてしばらく花瓶に挿し、その後、玄関のほうに放ったのだ。この実は有毒だが、鳥は好んで食べるから、種は散る。

 この場合も、自分のおこないが草の分布に影響しているのだが、具体的な結果は管理できない。というより、自分が何かをしたとも意識していない。結果が出てはじめて、手を貸したことに気づく。いまいる土地に何が生えやすいか、それぞれいつごろ芽吹くか、ある目的のためにどう介入すればいいか。結果から逆算して、徐々に把握していくしかないし、把握したつもりでも、かなりの確率で、予想外の展開が待っている。

 ジル・クレマンの『動いている庭』は、こうした人間と野草との関係性そのものを庭づくりの方法論とする。この作庭法では、まず、対象となる土地に自然に生える植物のサイクルを観察する。次いで、育ってきた植物の群生が島のように点在する様子を確かめて、残したい島、たとえばこれから花が見頃になる野草の群生を回り込むように芝刈機で草を刈って、通路とする。通路にはふたたび草が生えてくるから、そうしたら次の季節に出番となる野草に焦点を合わせて、また刈る。同じ草でも、自然の散種にまかせていれば群生の位置は毎年変わっていくので、完全に同じ庭が戻ってくることは決してない。

 芝刈機で手を入れること自体を、自然に反すると言うひともいるだろうが、クレマンにとっての庭は、人間と自然が和解する場所だ。まったく手を加えなければ、はびこった草は人間を拒む。他方、道をつけるならば、人間は草のなかに踏み込み、植物を間近に眺められる。すなわち、庭ができる。

 「動いている庭」の作庭法は、放任とは違う。この方法によって庭園の美を突きつめるなら、結局は植栽による人工的な庭と同じか、それ以上の、植物に関する知識と注意力が必要になることは、クレマンの解説からも明瞭に見てとれる。けれども、そこまでしなくてはいけない、ということはない。わたしたちはクレマンの思想を参考に、それぞれにできること・やりたいことをやればいい。

 ここへ来て四年、生えてくる草木の名前もだいぶ覚え、少しはサイクルもわかってきた。春にホオズキを刈らないようにすること。ムラサキハナナは開花後に背が伸びて他の春草が育たなくなるので、抜くこと。育ってほしい木にヤブガラシが絡んだら、取り除くこと。ただし、取りそびれたヤブガラシに花が咲いたら、蝶や蜂が喜ぶので放っておくこと。本当のところどうなるかわからないけれど、とりあえず、いくつかの作業を決めておく。何も植えなくても、野を野のままに留めていても、こんなふうに目を配るなら、そこに、庭は始まっている。

笠間直穂子(Naoko Kasama)

フランス語文学研究・翻訳。國學院大學文学部准教授。宮崎県串間市生れ。著書に、『文芸翻訳入門』(フィルムアート社、共著)、『文学とアダプテーション』(春風社、共著)他。訳書に、ンディアイ『心ふさがれて』(第十五回日仏翻訳文学賞)、『みんな友だち』(以上、インスクリプト)、『ねがいごと』(駿河台出版社)、モーパッサン『わたしたちの心』(岩波文庫)、フローベール『サランボー』(抄訳。集英社文庫、ポケットマスターピース 07)、シャルル・フェルディナン・ラミュ『パストラル──ラミュ短篇選』(東宣出版) 他。