©️Kasama Naoko

 朝、植物を見てまわると、バラの葉の表面が、細かな水滴におおわれ、朝日を受けて、玉虫色の産毛のように、うっすらと青や紫や黄色にきらめく。朝晩の冷えが強まるにつれ、こんなふうに、あらゆるものに露がおりる。朝は、自転車に乗る前に、露に濡れたサドルを拭かなくてはならないし、さらに季節が進めば、夜露が朝までに凍って、サドルに霜の薄い層ができる。

 寒暖差で朝方に霧が出ることも多い。町の全体に冷たい煙が立ちこめたようになって、髪も服もしっとりと湿気をふくむ。住みはじめて一年ほど経ったころだったか、線路の向こう側もかすむほどの濃霧のなか、踏切で電車の通過を待っていたら、隣で同じように待つ年配の女性が話しかけてきて、朝霧は秩父の名物、「朝霧けたててよく来たね」と、歌にも出てくるんだよ、と教えてくれた。金子兜太の父、伊昔紅が広めた秩父音頭の一節だった。

 そういえば、東京では冬場に肌が乾燥し、いつも粉を吹いて痒かったけれど、ここではあまり乾かない。寒い季節の秩父は、なんとなく、水のなかにいるような感覚がある。山に囲まれた谷底の町に、水が張ってあって、そのなかにいるような。

 三千万年前の秩父地域を表す地図では、町は実際、水に浸かっている。いま、わたしの手許にあるのは、岩波写真文庫の『埼玉 新風土記』(1955)で、埼玉県の歴史と現状を地域別に解説した小著だが、冒頭に、県庁所在地などの都市圏ではなく「秩父山地」を置き、現在の秩父山地が、かつて海中に浮かぶ「秩父島」であったと説く。もちろん、関東平野はまだない。地理を基準に、埼玉のなりたちを語ろうとするならば、はじまりは秩父、ということになるわけだ。

 秩父島があったころ、秩父盆地は、島の湾だった。「暖流時代(約二八〇〇年前)」を表す図を見ると、城峰山、両神山、三峰山、武甲山、などの山に取り巻かれるかたちで、三日月形の平地が細長くのび、海辺に現在の寄居町や小鹿野町、三峰口があって、秩父の町は沖合にある。こうしたイラスト地図の常で、地域内に当時いた、つまり、化石として見つかっている代表的な動物も描きこまれているから、秩父市の周りには、サンゴ、オウナ貝、クジラやカニが配され、それらの生きものに囲まれた海のなかの秩父市を、「ゾウの先祖」である海生哺乳類デスモスチルスが、岸辺から眺めている(ように見える)。

 笹岡啓子は、写真冊子連作「SHORELINE」の第一集を、「秩父湾」とした。撮影は二〇一五年二月七日、厳寒期の秩父市と長瀞。海岸線と銘打ちながら、海岸ではないのだが、靄にけぶる山と盆地と水辺をとらえた一連の写真は、総体として、たしかに湾だったころの秩父を呼び起こす。各地の海辺を丹念に見つめてきたから、地形と気象を手がかりに、秩父の「湾」たる所以を透視しうるのかもしれないし、無論、なにもないところに、かつてなにかがあった痕跡を指し示すのは、広島の公園の空虚に原爆被弾のネガを見る『PARK CITY』以来、笹岡が一貫して追求する視点でもある。

 こうして、露に濡れ、霧につつまれる冬場の秩父の空気は、かつてこの地が海中にあった記憶と結びついて、わたしはますます、水のなかにいる気がしてくる。

笠間直穂子(Naoko Kasama)

フランス語文学研究・翻訳。國學院大學文学部准教授。宮崎県串間市生れ。著書に、『文芸翻訳入門』(フィルムアート社、共著)、『文学とアダプテーション』(春風社、共著)他。訳書に、ンディアイ『心ふさがれて』(第十五回日仏翻訳文学賞)、『みんな友だち』(以上、インスクリプト)、『ねがいごと』(駿河台出版社)、モーパッサン『わたしたちの心』(岩波文庫)、フローベール『サランボー』(抄訳。集英社文庫、ポケットマスターピース 07)、シャルル・フェルディナン・ラミュ『パストラル──ラミュ短篇選』(東宣出版) 他。