©️Kasama Naoko

  家の裏手にある早咲きの白梅が、満開になった。七メートルはある大木で、家の敷地と、眼下の公園とのあいだの急斜面に生えている。誰も手入れをしないから、枝は伸び放題、去年絡んだ蔓草の枯れた茎があちこちにぶらさがっている。

 この傾斜地は、河岸段丘の段と段の、階段で言えば蹴上げにあたる部分なので、ところどころ道路に分断されつつ、帯状に横へ長くつづく。市有地なのだが、市の請負業者が草木の整備に訪れることはあまりなく、相当な樹齢と思われる大きなケヤキやヒノキの合間に、鳥が種を運んできたのだろう、ビワ、クサギ、ツバキなどが好き放題に葉を広げ、さらにその下にシュロやササ、各種の草が生い茂り、つまりは、藪となっている。

 梅雨のはじまるころになると、わたしは友人たちと藪に入り、野生のビワの実を収穫する。いま花が咲いているウメも、ビワと同じころに小さな実をたくさんつけるので、要る分だけ穫る。熟れて落ちたウメの実が地面を埋めて、羽虫がたかり、梅酒の匂いが立ちのぼるなか、籠いっぱいのビワとウメをもって斜面をのぼり、山分けにする。

 家に接して空き地があるのは、もしそこに建物が建った場合には環境が大きく変わる、ということだから、土地を手に入れるときに、そうなる可能性を想像してみたけれど、この急斜面の市有地に関しては、使い途があるようには思えなかった。どう「開発」するにしても、細長い斜めの土地は、整地の手間がかかりすぎる。ここはきっと、使えない、使われない場所に留まるだろう。市による多少の草刈りや枝打ちを挟みつつ、さまざまな種類の植物が勝手に芽吹き、花を咲かせ、実や葉を落とし、日光や雨や周囲の植物との位置関係、その他無数の条件によって、勢いをつけたり、弱ったり、枯れたり、再生したりを、繰り返すはずだ。

 庭師・修景家のジル・クレマンに『第三風景宣言』(二〇〇四)という小著がある。わたしがもっているのは、二〇一六年の版だが、A5より少し小さい判型、全六十ページ、厚紙の表紙にホチキス止め。誰かが勝手に印刷して、綴じて、ばらまこうとするかのような佇まい。版元を調べてみると、予想どおり、アソシエーション法(一九〇一年法)に基づく非営利団体として設立されている。

 これは、政治的小冊子(パンフレ)のつくりだ。現に、この文書の著作権は、転載自由の「コピーレフト」が適用されているし、初版以来、いずれも結社的な性格の強い複数の出版社から、何度も出し直している。さらに、建築と環境の共存を目指す公益団体のウェブ版ガイドブックから、全文をダウンロードできる(Gilles Clément, Manifeste du Tiers Paysage)。まさに、売るよりも思想をばらまくために書かれたマニフェストなのだ。

 最初のページに、「第三風景とは、(第三世界ではなく)第三身分を参照している」と、表題についての説明がある。シエイエスが一七八九年に発表したパンフレ『第三身分とはなにか』は、第一身分の聖職者、第二身分の貴族に対し、第三身分とされてきた平民の権利を主張して、フランス革命へ向かう世論を加速させたが、クレマンがここで宣言する「第三風景」とは、「人間に放置された場所の総体」を指す。

 この場合、「第一」や「第二」にあたるのは、人間が放置していない場所のすべてだから、都市や、農地、庭園なども入る。ただし、都市のなかでも、建築物や舗装道路のあいだに「第三風景」は点在している。道路脇や河畔の草地、手入れされない空き地。コンクリートの隙間に生えた雑草も、極小の第三風景として捉えられる。これらをつないでいくと、都市・郊外・農村といった区分けとは異なる、不定形な第三風景の地図ができる。

 こうした土地は、誰もが目にしながら、大抵は見過ごしている。もしくは、個々の場所には気づいていても、ある特徴をもった集合とは見なさない。第三風景、と名づけることで、それが見えるようになる。シエイエスが、第三身分という言葉によって、フランス国民すべてを名指し、いまだ何者でもない、しかし何者かになろうとする存在として規定することで、革命の主体たるべき集合を可視化したように。

 第三風景の特徴は、生物多様性である、とクレマンは言う。人間の手が入った土地は、生息する動植物の種類が減る。舗装した場合は当然だが、農地として使う場合も、かぎられた種類の作物を育てるために、余計な草や虫を排除するのだから、多様性の観点から言えば、貧しい。美しく整えられた庭園も同様だ。

 あらゆる出自の種を受けいれ、刻々と変化しながら、最終的には極相としての森林へと向かう第三風景は、企業なり自治体なりが価値を引き出そうとすれば、たちまち本来の豊かさを失う。真の環境保全を目指すなら、野放図な放棄地の野放図さそのものを守るべきだ。それは、翻って、人間による土地の管理と収益化がなにをもたらしてきたかを見つめなおす契機ともなる——『第三風景宣言』の主張は、概ね、こんなふうに要約できるだろう。

 『第三風景宣言』は未訳だが、二〇一五年の来日時に、クレマン本人がこの概念を詳しく解説した講演が書籍化されている(『庭師と旅人』秋山研吉訳、あいり出版、2021)。これを読んでいて、傾斜地への言及に目が留まった。かつてヨーロッパでは、ヤギやウシなどの放牧に傾斜地を利用していたため、こうした土地は丈の低い草地の状態が保たれた。ところが、農作業が機械化され、家畜を放牧しなくなったことから、傾斜地は放棄され、森林と化した、という。

 たしかに、昔の光景として、傾斜地の利用を考えてみると、日本でも放牧はおこなわれていたし(宮沢賢治の「種山ヶ原」)、棚田や果樹園をつくることもできる。秩父の山間では、急斜面を開墾して、つんのめるような姿勢で畑を耕す技が共有されていた。わたしが、敷地の裏の傾斜地を見て、斜面だから、使えない土地、と即断したのは、機械化以降の感覚によるところもあるのだろう。水平に均された敷地が並ぶ住宅地の真ん中で、すでに放棄され、第三風景化した斜面が目の前にあるとき、それ以前の時代にありえた可能性を想像することは難しい。

 第三風景の概念に沿ってクレマンが展開するプロジェクトのひとつに、「ラベルの庭」がある。サン=ナゼールにある潜水艦基地の廃墟を、庭として再生するにあたり、コンクリート製の屋根の一部を、自由に植物が生える場所とし、年に二度、造園・景観整備を学ぶ高校生たちが、植物学者とともに、その区域内の植物をひとつ残らず同定して、ラベルを取りつける、というものだ。

 第三風景論の考え方では、名づけられることで見えるようになった放棄地の風景を、豊かなものとして認識することが求められる。しかし、そもそも、豊かである、と認識するには、そこにいる個々の生物の名前を知らなくては、はじまらない。

 名前を知る、とは、そのものの形状や生態を確認していく、ということでもある。生えている草木それぞれの顔かたちと性格を知り、彼らの各々が、時間とともに、移動したり、増えたり、消えたりすることが実感されるとき、ようやく、その場所は、汚い荒れ地ではない、多様な生物のひしめく場として現れる。

 秩父へ越してきたころ、わたしは敷地から裏の斜面への下り坂がはじまるあたりに、それぞれ異なる種類の木が並んで生えているのを、いろんな木がある、としか思わなかった。けれども、その後、高橋秀男他監修『樹に咲く花』(山渓ハンディ図鑑、全三巻)などと照らし合わせて、いまは八種類すべての名を言うことができる。同定しづらいものもあったけれど、最後までわからなかった一本も、去年はじめて実をつけたおかげで、マメガキと判明した。

 二階にある仕事場の窓から、傾斜地の藪が見える。ビワは今年も、一月に、ひと知れず地味な花を咲かせていたから、きっと実がなるだろう。スイカズラは冬場も緑の葉が残り、枯れ草のなかで目に立つが、五月の開花のころにはエノキやクワの葉叢に埋もれてしまうので、いまのうちに場所をたしかめておく。木々には、シジュウカラやメジロやモズやコゲラ、時にはイカルの群れが立ち寄る。二、三度、庭に来たことがあるタヌキも、住まいはこの藪のなかかもしれない。

 たしかに、人間のいない場所は、賑やかだ。とはいえ、そこにいる動植物は特に人間を撥ねつけたいと思っているわけでもないだろう。ここでわたしがおりていって、咲いているウメの枝を一本もらえば、作業する束の間、わたしがこの風景の一部になることもできる。

笠間直穂子(Naoko Kasama)

フランス語文学研究・翻訳。國學院大學文学部准教授。宮崎県串間市生れ。著書に、『文芸翻訳入門』(フィルムアート社、共著)、『文学とアダプテーション』(春風社、共著)他。訳書に、ンディアイ『心ふさがれて』(第十五回日仏翻訳文学賞)、『みんな友だち』(以上、インスクリプト)、『ねがいごと』(駿河台出版社)、モーパッサン『わたしたちの心』(岩波文庫)、フローベール『サランボー』(抄訳。集英社文庫、ポケットマスターピース 07)、シャルル・フェルディナン・ラミュ『パストラル──ラミュ短篇選』(東宣出版) 他。