©️Kasama Naoko

 秩父へ来る前に六年ほど住んだ文京区の古いマンションは、玄関先に植えこみがあった。小さいながら、五、六種類は植わっていただろうか。当時は植物に疎かったから、同定できないものも多かったけれど、サンショウがあり、たしかツバキもあった。なかでも目立つのが、サルビア・ガラニチカだった。

  サルビア・ガラニチカは、メドーセージの名でも知られるが、この流通名は日本だけのもので、本来は別の種を指すらしい。とにかく花期の長い宿根草で、腰の高さまで伸びた茎の束に、発光するような鮮やかで深い青紫の花が、咲いては落ち、落ちるとまたすぐにつぼみをつけ、初夏から秋口まで延々と咲く。建物の入口にこの色があると、帰ってきたときに、明かりが灯っているかのようだ。いつか家を手に入れることがあったら、玄関に植えよう、と決めた。

  そう思いはじめたころは、家を手に入れるなど、まったく現実味のないことだったけれど、そのうちに現実になって、秩父に住みかができた。引っ越してきてからは、街を歩くたび、あちこちの民家の植栽を眺めては、寒暖差の激しいこの土地で育つ草木をたしかめていたのだが、特にサルビア・ガラニチカのある場所は、自然と頭に入った。花茎をもらって、挿し芽で増やそうと目論んでいたからだ。この草は、いったん根づくと、地下茎で際限なく増える。切ったり掘ったりして減らすのが普通だから、花の咲いている時期に頼めば、分けてくれるだろう。

  見知らぬひとに、ものを分けあたえたり、所望したりする習慣は、ほとんど絶えてしまったように思えるが、植物に関しては、そうでもない。どんどん育ったり増えたりしていくものは、自分の所有物として囲いこんでも仕方がないから、友人知人のあいだで種や苗を交換するのはもちろん、知らない者同士でも、お互いに草木が好きであることさえ確認できれば、分けるのは珍しくない。

  通勤時にいつも通る道に面した駐車場に、とりわけ威勢のよいサルビア・ガラニチカがあった。近くの店に持ち主を聞いて、持ち主と話せたら花茎を何本かもらって……と思いつつ、通りすぎるのだが、行きがけは、大抵急いでいるし、第一、茎をもらえたならすぐに挿し芽にしなければいけないのだから、無理だ。そして、帰りは夜になるから、声をかけられない。休日であっても、あちこちへ寄る予定があると、諦めなくてはいけなくて、そうこうするうちに花期が終わってしまう。そのうちに、と思いながら、何年も経ってしまった。

  けれども先日、晴れて爽やかな五月の午後、自転車で買い物帰りに、たまたま駐車場脇へ差しかかると、青紫の花が、あふれるように咲いていた。いまだ、という気分で、ためらうこともなく、入口を開け放した隣の床屋に、すみません、と声をかけると、主人は、怪しげな飛びこみ営業とでも思ったか、警戒する顔つきで振り向いたものの、あの駐車場のお花は、どちらが育てていらっしゃるのでしょうか、と花のほうを指さすと、途端に相好を崩して、ああ、あの花? あれはうち、と答え、育ててるのは家内だから、と、二階にいた奥さんを呼んでくれた。

  鋏を持って出てきた奥さんに、うれしいです、家で育てたくて、と言うと、育てるなら株ごと持っていったら、と言いながら、いったん家へ戻って、今度は移植ゴテとビニール袋を持ってきた。そして、どんどん増えるのよ、こんなふうに根が張って、と言いつつ、つぼみのついた株を掘りあげると、それとは別に、花のついた茎も、切り花用に何本か切って、両方くれた。

  帰宅して、花束のほうを生けたあと、門の脇に穴を掘り、株を植えつけた。直後に梅雨入りして、日光が足りていないのが少し心配ではあるけれど、根づくことは根づいて、つぼみもふくらんできた。機会がめぐるのをずっと待っていた仕事が、ようやく済んだ気がする。

 前にいたマンションのサルビア・ガラニチカは、わたしがまだ住んでいるあいだに、なくなってしまった。

  一九七八年築、四階建ての小さな集合住宅で、年配の家主、Uさんが暮らす一階は、戸建てだったころの庭を残していた。大手建設会社に勤務していたUさんの亡き夫が、材料を選り、自ら設計に工夫を凝らして建てた、ということは、あとから知ったが、この築年にしては高い天井や、狭い床面積ながら上がり口から居室が丸見えにならないよう角度をつけた部屋のつくり、木の風合いを活かした建具などを見た段階で、そのことはなんとなく了解できた。

  おそらく、竣工時の特徴にも増して、このマンションを同種の建築から際立たせていたのは、当初の特徴を家族が変えずに守ってきたことだろう。二階以上の部屋のうちの三室は、Uさんの三人の娘たちがそれぞれの家族とともに暮らし、主に末娘のMさんが母親に代わって大家の仕事をこなしていた。

  壊れて取り替えた部分は別として、父親が建てたころの設備を全室そろえて変更したり、「時代に合わせて」足したりした箇所は、ほぼなかったのではないかと思う。インターフォンはなく、ボタンを押す指の力で電流を流してベルを鳴らす機械式のチャイムだったし、給湯は旧式の電気温水器だった。ベランダから真下の小さな庭を覗けば、モクレンがあり、夏ミカンがあり、陶製の腰掛けを置いた芝生の一画があり、池には錦鯉が泳いでいた。毎日のようにホースで水を足していたが、のちにMさんから聞いたところでは、かつては、水を循環させて砂利で濾過する父親自作の浄水装置を使っていたという。装置が故障したあとは、Mさん姉妹が水道水を注いで、澄んだ池を維持していた。

  マンションの入口には、モダンな英字ロゴでマンション名を記した電光看板と、中二階に設けられたマンションの玄関ホールへ向かう煉瓦風の敷石を敷いたアプローチと外階段があり、そのアプローチの横に、サルビア・ガラニチカと灌木類が植えられていた。

  Uさんは、足が悪く、体調が優れないことも多いようで、ほとんど顔を合わせなかった。しっかりした、物柔らかな女性だった。空室が出たとき、入居するなら、とわたしに教えてくれたのは、このマンションの一室に長いこと暮らすEさんだったが、彼女によると、Uさんは能の謡と仕舞が上手で、Eさんは彼女から謡を教わっていた時期もあったという。そこで、入居前の面談の際に、わたしが能管を長らく習っていることをUさんに伝えると、喜んだ。

  能管は音が大きいため、自宅での練習に気を遣う。でも、能に親しんでいれば、こちらの吹く《中の舞》や《神楽》は、下手であっても、騒音には聞こえないだろう。気分がよければ、曲に合わせて舞うことすらできるはずだ。それぞれの曲の意味を知るひとが階下にいることを感じながら吹けるのは、心強かった。

  そして、ある日、Uさんが亡くなった。結局、数えるほどしか会うことはなく、いつか能の話を、と思っていたのも、かなわなかった。家賃や契約更新のやりとりは、もとより末娘のMさんが仕切っていたから、こちらの生活に変化はない。

  ところが、Uさんの死去から一年が経ったころ、勤め先から帰ってくると、Mさん姉妹が、力仕事を終えたひとのせいせいした笑顔で玄関先にいて、あの植栽は、きれいさっぱり、消えていた。あとには、近ごろよく見かける、手のかからない常緑の灌木が、一種類だけ、等間隔に植えられていた。

  ひとが亡くなったあと、そのひとの影響は、意外と、すぐにはなくならない。故人の大切にしていたものに、身内はしばらく、手をつけずにおく。故人に見られている気がするせいか、周囲への遠慮か。あるいは、相続にまつわる問題も絡むのかもしれない。だが、一周忌を済ませたころになると、そのひとがもう完全にいなくなったことが互いに了解されて、そろそろ片づけにかかる。辛辣に過ぎる言い方かもしれないが、そんなふうに見えた。

  思えば、建物や庭が、建てたときのまま大事に保たれていたのは、夫の遺したものを守ろうとするUさんの意志が、建物の全体にみなぎっていたためで、彼女が手間を惜しまずに維持管理をつづけていたからこそ、体を動かすのが難しくなったあとも、彼女の視線があるかぎり、子どもたちは同じ仕事を引き継いでいたのだろう。しかし、玄関前の小さな植栽ひとつとっても、あの空間に収まるよう植物を世話するのは、並大抵ではない。夏じゅう花を咲かせるサルビア・ガラニチカは、裏を返せば、夏じゅう、公道に散る花びらを掃除しつづけねばならない花なのだ。

  いなくなって一年経って、はじめて、このマンションの潔さは、老家主の存在に支えられていたのだと、はっきりわかった。家の魂が抜けていくのを見るようだった。もちろん、Mさんはきちんと管理業務をつづけてはいるのだが、次第に、どことなく、空気が弛緩してくる。長く留まる借り手の多いマンションだったのに、出入りが増えてきた。わたしは、言われたことのなかった苦情を、突然、Mさんの姉に言われて、ひどく驚いた。外から戻るたび、玄関先の単調な植栽を横目に眺めては、背丈、生え方、葉の形状と質感、花期などをとりどりに組み合わせたあの小ぶりながら見事な植栽が捨てられてしまったことを思い、気が滅入る。
このころ、すでに、細々と刈りこまなくても草木が育っていられる場所へ移る準備を進めていた。潮時だな、と思った。

 あのマンションと、Uさんの存在のことを考えていて、頭に浮かんだのは、ジョーン・ロビンソンの『思い出のマーニー』だ。

  子どものころ何度も読んだ、黄ばんだ岩波少年文庫版が手許にある。自分にとっては、そういう本だから、距離を置いて評価することが難しい。いま読み返すと、腑に落ちない部分もある。とはいえ、主人公アンナの見た幻影であることを仄めかされながらも、あるいは、そうであるがゆえになおさら、強烈な存在感を放つマーニーの造形は、やはり特別な魅力をもつものだと思う。

  これは、家の魂をめぐる物語だ。早くに親を亡くし、養母にも同級生にも心を閉ざすアンナは、ロンドンから、イングランド東部ノーフォークの、海に面した村に預けられる。到着早々見つけた、入江[クリーク]沿いに建つ無人の古い邸宅に、アンナはなぜか強く惹かれる。村人に「しめっ地やしき」と呼ばれるその館には、いつの間にか、アンナと同年代の女の子、マーニーが住んでいて、二人は仲良くなる。マーニーは、古めかしい衣装を着て、とても裕福で、神出鬼没の、不思議な女の子だが、あるとき、アンナを裏切るようにして消え、動顚したアンナは海でおぼれかける。

  寝こんだアンナが回復し、マーニーの記憶も薄らいだころ、「しめっ地やしき」に六人家族が越してくる。ある日、子どもたちの一人が、家で見つけたと言って、昔の住人のものらしい日記をアンナに見せる。表紙にはマーニーと署名があり、中には、アンナがマーニーとともに体験した出来事がつづられていた。

  「しめっ地やしき」のマーニーは、実在した。それは、アンナが三歳のころに亡くなった祖母だった。彼女は生前、幼いアンナに屋敷の写真を見せては、自分の少女時代のことを語って聞かせた。アンナ自身はそのことを覚えていなかったけれど、記憶の奥底には潜んでいた。だから、はじめて屋敷を見たとき、祖母から聞かされた話を無意識に呼び出して、自分の居場所を見出せない不安定な精神状態のなか、少女のころの祖母を幻の友だちに仕立てて遊んでいたのだ。こうして、屋敷と、マーニーと、アンナとの関係が明かされ、物語は大団円となる。

  つまり、本書は、家のない子が、家を見出す、家へ帰る、という、児童書の世界に連綿と引き継がれる主題を扱った作品で、この点については、そうまでして子どもはおうちに帰らねばならないのか、と思わないではない(実際、わたしは読み返すたび、マーニーの出てくる前半は熱心に読むけれど、種明かしの部分はすぐに忘れてしまう)。

  しかし、本書が面白いのは、子どもが故郷を、あるいは親を、探し求めて辿りつく、というよりも、建築としての家そのものが、子どもを呼び寄せるところだろう。しかも、子どもを家へ招く役割を負うのは、そこにかつて住んだ、少女のころの祖母で、彼女は、家の亡霊であるとともに、子どもの合わせ鏡でもあるような存在として、家の意志を実現する。

  と、ここまで考えたところで、あのマンションについて、家の魂が抜けつつある、とわたしが感じたのは、単に、自分に感じとれるものが少なかったからではないか、と思えてきた。たかだか、数年しか暮らしていないのだ。

  両親が自宅を集合住宅に建て替えた当時からそこにいた三姉妹にとっては、植栽やほかのいくつかの片隅に手を入れたとしても、父母の気配は、ありあまるほどに濃いのだろう。人生半ばになって西のほうから東京へ移り住んで以来の長い日々を、あのマンションの住人として、時には家主の話し相手となりながら過ごしたEさんもまた、きっと、わたしには見えないものを見ている。わたしはただ、サルビア・ガラニチカという草を、あの空間に教えてもらった、ということにすれば、それでいい。

笠間直穂子(Naoko Kasama)

フランス語文学研究・翻訳。國學院大學文学部准教授。宮崎県串間市生れ。著書に、『文芸翻訳入門』(フィルムアート社、共著)、『文学とアダプテーション』(春風社、共著)他。訳書に、ンディアイ『心ふさがれて』(第十五回日仏翻訳文学賞)、『みんな友だち』(以上、インスクリプト)、『ねがいごと』(駿河台出版社)、モーパッサン『わたしたちの心』(岩波文庫)、フローベール『サランボー』(抄訳。集英社文庫、ポケットマスターピース 07)、シャルル・フェルディナン・ラミュ『パストラル──ラミュ短篇選』(東宣出版) 他。