シミがなくなった日─「UNTITLED RECORDS」に寄せて─
開口からの眺め
「UNTITLED RECORDS」のシリーズ中で、とりわけ印象に残る一枚がある。2014年12月16日に青森県つがる市で撮影されたものだ。
雪で覆われた平地に二階建ての小屋が一軒立っている様子である。背景の雑木の背が低いので風の強い海沿いなのだろう。小屋の前面には未舗装の道が雪の下にかくれていそうである。その道に面した小屋の立ち姿が不思議だったので、腑に落ちるまでずっと眺めていた。
まず、その小屋は道路側を正面とした場合、画で見えている右側面の奥行きが極端に浅い。目視で約3尺弱(90cmない程度)、まるで看板である。その小屋の二階に登るには側面に突き出して設けられた外梯子を用いる。側面はその梯子の幅から始まり、外付けのベランダに続いて、先の3尺弱の側面の壁にいたる。その半分が戸であるから、その人は体を横にしてその戸から室内に入ったはずである。小屋の正面は3尺ほどの間隔で柱を立て2間(12尺、3.6m程度)ほど続いている。柱の間に羽目板を横に打ち付けており、北方の海沿いの漁家によくある仕様である。正面壁には2箇所に方形の開口が穿たれている。もはや建具は無くなっているが、開口は海に面した方向に空けられているはずである。
どんな用途に使われた小屋なのかを考えつつ、ふとその屋根を見あげて驚く。たった3尺ほどの側面の幅に対して屋根がきちんと三角形の妻(つま:屋根の断面が三角形に見える側をいう)を持っているのだ。片流れ屋根でさしつかえない小屋の規模に対して、意識的にこだわった屋根の仕様である。さらに垂木という屋根面を支える材木は、3尺幅に5本も配されている。これは通常の住宅の2倍、ほとんど社寺仏閣の密度である。かつその材は細くて、まるで数寄屋作りの繊細さを併せ持つ。さらによくみると、梯子の位置まで中空に飛び出した(これもまた尋常ではない)妻の端部にはきちんと飾りの破風板が打ちつけられている。つまり明らかにこだわって作られた化粧屋根裏なのである。
ここまで見きった時に、この小屋の建て主が船大工であったことを感じて、腑に落ちた。これは陸に上がった船室なのだ。よく見るとこの小屋が2階の入口から奥へ進むにつれてその幅が僅かに膨らんだ台形の平面をしているかもしれないことにも気づく。やはり舟だ。老齢になった船大工が、ちょっとした遊び心で比較的短期間にこの小屋を立て、海上の風情を楽しもうとしたかのような心持ちが、その時スッと入り込んできた。小屋の開口から見えるはずの海の波面と鑑賞者の自分とが、小屋の作り手の意図や動きを通じて、つながった。
この作品をはじめ「UNTITLED RECORDS」のシリーズには、ときたまそのような風景の連関を思いがけず強く示す写真がある。それを見続けるのが楽しみであった。
重力と大地
小屋と同日に青森県内で撮影された、コンクリート造の壁もすばらしい。
実際の規模はわからないのだが、相当大きく見える。つららが下がった雪の積もった面は画面右側の角度のわずかな変化を見ると寄棟屋根のようである。するとこの壁は単なる塀ではなく建造物の壁であり、かつ窓が一切ないので倉庫だろう。軒直下にはもとの黒い塗装面が残っているが、壁は足下に近づくほど経年で退色し、モルタルの地色になっている。
表面にモルタルを塗られたこの壁の、主な構造がコンクリート造であると推測できるのは、そのモルタル面に浮き出してきたシミによる。この壁の表面のシミの模様は実に味わいのあるもので、大きく二種類ある。一つは足元に近い方で、いびつな円弧を描く小規模なシミである。おそらくこれは左官職人が全身を使って手早く壁にモルタルを塗った時のストロークの跡である。そしてもう一つは壁全体に対していく本か水平に浮き出したシミである。おそらくこの水平のシミはコンクリート造に特有の打ち継ぎの境が、モルタルを塗られても消えることなくその表面に現れたことによって生まれた。
打ち継ぎとはコンクリートを、時間をあけて打設することである。この壁では、まず職工たちが手ごねのコンクリートを猫車で足場の上まで運搬し、人が運搬可能なセメント量を入れ替わり立ち替わり、組まれた型枠の中へ落とし続けた。まだ液体状のコンクリートは型枠の中で大地からの重力をうけていささか水平となる。次のコンクリートが流し込まれるのは、今落とし込まれたコンクリートが十分に硬化して次に投入されるコンクリートの重量を支えられるようになってからである。この施工の時間差によって、それぞれのコンクリート層にはどうしても境が現れてしまうのだ。職工の上下の移動作業が見えるこの施工法は、打設がまだ完全に機械化されておらず、人力に頼っていた戦後初期までの時間を想起させる。
先の小屋は古くからのいわゆる在来の工法をベースとしていた。その施工は人の手で運び、立てることが可能な程度の規模の木柱や板のような、人力のみによってなしうるだけの物的限界を持っている。それに比較してこのコンクリート造の壁は、堅固な大地を前提として、大地からの反作用(重力)による圧力とセメント反応を用いて素材が強く化学的に結合したものである。それはできてみれば、人が作ったとは思えない偉大な量塊を作り上げる。とはいえ、このコンクリート壁にも人々の動きがシミとしてまだ残っていた。水平のシミに現れた壁の積み方は、実は奈良によくある古代以来の版築壁の突き積み方と同じなのだ。それゆえ近代的工法であろうとも、人間が施工した事物の中には、その後の風化や、そのちょっとした表面上の段差に塵が積み重なることによって次第にあらわになってくる、微かな痕跡が施工当初から含まれているのだ。それはいわば未来にむけての、まだ見ぬシミである。これが特に人間が作った構築物に深みを与える主要因であると思う。画家・松本竣介が描いた工場の壁に示されたあの深みだ。それゆえにこの壁も、人の心にじんわりと効いてくる景色を持つのだ。
シミがなくなった日
そんなシミがなくなったことに気づいたのは、撮影日で言うと2012年1月27日、岩手県釜石市の事例を展覧会で見た時であった。大地と山を分断する様に白い仮囲いが水平に整然と並んでいた。このシミの全くない白さはなんなのだろう。それは前二者とは全く違った施工的背景を持っているに違いない。その後、このシリーズの発表写真群をあらためて眺めると、撮影者が、その開始当初より、このシミのない白い壁に違和感を抱いて撮り続けてきたことがわかる。それは東西南北、暑さ寒さに関係なく、あちこちの風景に顔を出す。先の釜石市の事例のように主人公になっていなかっただけで、常に脇役として存在し続けている。このシリーズ全体の主役は、実はこのシミのない白い壁ではなかろうか。
この白い壁の正体は、工事現場で現在最もよく用いられている仮囲いである。工事現場内で起こっていることを隠すようにしてそれらは仮設的に並べられる。この白い壁の持つ違和感の主因を見極めるために、その製造工程からくる特徴を分析しよう。この白さは焼き付けられた塗料であり、それによって耐候性をました鋼板である。その最も重要な特徴はそれが現場で作られたものではないことである。もちろん木やセメントもその場所で採取されたものではないが、すくなくとも現場の近くの製材所やセメント工場から搬入されてきたものだ。ところが鋼板は大規模工場が大量に生産することでその品質を均質化している。シミのない焼き付け塗装の鋼板を作るには相応の機械インフラが必要なのである。この意味でこの白い壁は特定の場所と縁が切れている。さらに遠隔地から運ばれる商品のため、運搬に際して経済的に見合う軽さが実は重要である。そのためこのシミのない白い壁も、無理をすれば人力だけで並べることができるが、その軽さは在来工法の素材とは異なる。まるで未確認飛行物体(UFO)の外装材のような場所や時間との断絶性を持っているのである。これが白い壁が持つ違和感の工法上の理由である。そして先にも言ったように、この白い壁は現在の空間のあちこちに遍在する、脇役にして実は主人公なのである。
3.11
「UNTITLED RECORDS」が黙示録的な幅を持ったのは、その前身の作業となった「Places」と名付けられた活動を含めれば、道半ばの2011年3月11日に発生した東日本大震災によることは間違いない。と同時に、この災禍は本稿の視点からは、大地が、このシミのない白い壁に対してどのようにふるまったのかをよく示した出来事になった。在来的な工法であれば、破壊された構築物は自然に還っていく。しかしシミの消えた白い壁に代表されるUFO的素材はそうではない。その結果起こった悲劇は、大地がそれら現代素材に対して行った容赦ない、むごいとまで思える殲滅の仕方だった。その様子を建築家の鈴木了二が、当時、感極まってこう書いている。
これを破壊というにはあまりに念が入りすぎてはいないだろうか。どう見ても、ただ壊しただけでは気の済まない人のやることである。壊すだけならただ倒せばよいものを、左に捻り、右に折り返し、湾曲させ、過剰な装飾のようにギザギザをつけ、引き裂き、そのうえでやっと投げ捨てるのであるが、その距離もまたわらわれには思いもつかないほどの遠方であり、また方向なのだ。
「「建屋」と瓦礫と」みすず2011年6月号
シリーズの中で散見されるその惨状は、工法との兼ね合いにおいて実に様々な景色を見せるのだが、とりわけその様子が過酷なのは、鈴木が指摘したような、なかなか壊れない現代的──UFO的──素材の場合であった。
私が4月の宮城県の現場で見た時、もっともひどい扱いをうけていたのは金属箔でサンドイッチされたグラスウール断熱材だった。グラスウール素材は、文字通り細いガラス繊維の集合体である。この素材はアスベストと同じく地球上の変動現象ぐらいではその性能や組織になんの変化も起こさない強靭なものである。そのためグラスウールに触ると手や腕はしばらく微細な棘がつきまとったような違和感を覚えるし、アスベストは肺に入ってもその性質を変えないために発がん性物質へと「変化」してしまうのである。
現場におけるグラスウールは、いかなる素材の混濁のなかでも、ただただ黄色い素地を表していた。まごうことなき、シミのない素材であり、周囲の泥に馴染まずいつまでも鮮やかさを保持していた。その様子は、まるで黄色い新鮮な肉が転がっているようだった。蛇足とは思うがこの風景は、2022年のウクライナの寒空の下の破壊行為で露出した景色にも地続きである。
そのまま津波に洗われた現場を歩き続けていると、人工材が破壊され多量に堆積した大地の中に忽然と、新築間もない白いサイディングが外壁に貼られた建売住居が数軒ほど、ほとんど無傷のまま立っていた。まるで何事もなかったかのようなその姿に驚いて、その立派な立ち姿を近くで確認しようと、目前の残骸を迂回して家の背後から近づこうとした。ところが背後から見たその数軒の家の内部は、どれもこれも、先程見た二面の無傷の壁とその上の屋根を残して空っぽだった。津波の回り込みの渦によるものだろうか、津波に対した面を残して、内側は全てえぐられ流されていたのであった。表と裏との強烈な対比の中で、屹立していたその鮮やかな白が記憶に強く残ったままである。
時間×移動としての歴史
時の流れは不可逆であるが、素材に込められた時間は、それに関係なくわたしたちの目前に一気に現れる。建造物を含めて私たちを取り巻く事物は全て、この地球を原料としている。私たちはこの事実を意識することは少ないが、あらゆる景色との出会いの中に私たちの想像をはるかに超えた地球の時間が含まれている。
たとえば工事現場に出入りしたトラックから道路にこぼれ落ちた、角が丸くとれた小石の代表的なものはチャートと言って、海水中のプランクトンが数千万年もかけて海底に堆積し、それが一億数千年前に大陸移動や隆起によって大地上に露出したものからできた。その大地がさらに川によって削られて、段丘を形成し、その一部であった礫層は様々な風化を受け、さらに数十万年をかけて川底に転がり込んでなめらかな小石となったのだ[*]。そして業者が川をさらい、私たちの生活圏に現れたのである。それが建設用の骨材として都会の工事現場に持ち込まれて、同じく海底由来の石灰石から精製されたセメントと混ぜ合わされ、コンクリートの主要素材として用いられるのである。このようにあらゆる建築材料の出所を遡っていけば遥か地球の誕生近くにまで遡る。
つまり現在を構成する事物とは長大な時間をかかえた各種物質の、人間による移動、組み合わせなのである。私たちの実感としての歴史─時間感覚は長くても数十年である。しかしながらその一部である現在の構成に、人間の時間感覚を遥かに超えた地球時間がダイレクトに含み込まれている。それらが都市空間を作っている。その意味で、時代とは、ひいては現在とは、各種物質の長大な時間を含み込んだ組み合わせだといえる。過去は昔あったことではない。むしろ過去にできたあらゆる物質が、私たち人類が発生するはるか以前からここにいて、私たちがそれに直面しているのだ。そんな感覚を持ってみることは、世界を、そして人間的時間を超えた素材によって作られた人間社会をどう捉えるかにおいて、新しい考え方や発見をもたらしてくれるだろう。
以上、人による構築物と周囲との様々な関係性を鮮やかに示すこのシリーズは、見ていて本当に飽きることがない。事物的接触の体験に裏打ちされた撮影者によってこそ、この作業は貫徹される。もし数百年経って建築家の名前も消え失せた時に編纂されるであろう建築史図集、もしくは架空の文化財報告書には、このシリーズからの幾枚かが掲載されてほしいと思う。最も正確に人間の構築物の発展の過程を、時を超えて映し出した作業の一つだったと思うからである。
[*] 参考:『カラー版徹底図解 地球のしくみ』「身近な地形を考える②」158頁、新星出版社、2006