テンペスト

エメ・セゼール、W・シェイクスピア、ロブ・ニクソン、アーニャ・ルーンバ 著
本橋哲也編訳、砂野幸稔、小沢自然、高森暁子 訳

定価:本体3,150円+税
2007年1月1日書店発売

四六判上製 364頁
ISBN978-4-900997-14-1
装幀:間村俊一
写真:港千尋

ルナンをはじめ、さまざまな改作が行われたシェイクスピアの「テンペスト」。本書は、改作中最も重要と目されるセゼール「テンペスト」の本邦初訳とシェイクスピア「テンペスト」の新訳、さらに「さまざまなテンペスト」の軌跡を辿るニクソンの批評とフェミニズム的植民地主義批判を代表するルーンバの批評を併せて収録。黒人の抵抗を激しく主張するセゼールの作品をはじめ、本書収録作品は、グローバル化した暴力と地政的な格差をあらわにする現代のポストコロニアル状況を参照する際の必読文献である。

本書はウィリアム・シェイクスピアという、イギリスのロンドンで一六世紀末から一七世紀初頭にかけて活躍した劇団座付き作者の最後期の作品で、一六一一年ごろに書かれた『ザ・テンペスト』の現代における読みの可能性を考えるために編まれている。

収録したのは、二○世紀における『ザ・テンペスト』改作の代表作である、カリブ海のマルティニク島出身の詩人エメ・セゼールが一九六九年に発表した『もうひとつのテンペスト』の日本語初訳。またセゼールのような作品が生み出されてきた時代背景を知り、そのうえで私たち自身の批評的感度を高めるために「さまざまなテンペスト」の現代における軌跡を考えるときの指標となる二つの批評論文の日本語訳——ひとつは一九五○年代から盛んとなったカリブ海地域とアフリカにおける「さまざまなテンペスト」を考察したロブ・ニクソンの論文(一九八七年)、もうひとつは『ザ・テンペスト』に対するフェミニズム的植民地主義批判の現代的文脈における代表的批評であるアーニャ・ルーンバの論文(一九八九年)。そして最後にシェイクスピアの『ザ・テンペスト』の新しい日本語訳である。
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『ザ・テンペスト』が歴史のなかでさまざまに改変されてきた旅路を現在の私たちの視点からたどることは、シェイクスピアが創作した特権的なテクストが、いかに重層的で時代を通じてさまざまな改作や、幅広い批評を許容してきたかという百花繚乱状態を賛美するのではなく、それが正典として文学研究や教育の中核に位置づけられる過程を問い直し、再文脈化、再分節化という視点から「原作」と「改作や批評」との関係を探ることである。一七世紀から現代に至るさまざまな「ア・テンペスト」を考察することは、このさまざまな解釈を許すテクストの、私たち自身にとっての可能性を考えるために必要不可欠な作業であると言えよう。
さまざまな改作におけるキャリバン表象に焦点をあわせると、多様な「ア・テンペスト」の旅路が明らかになってくる。シェイクスピアのテクストのなかで植民地主義の一方的な支配に抗う異文化混交のメタファーとしてかろうじて機能していたキャリバンは、一七世紀以降、再表象再解釈の試みのなかで時どきのイデオロギー状況にあわせて多様な実体的価値を付されていった。ほとんどのシェイクスピア作品が時代の要請に合うように「改良」されて上演されたように、『ザ・テンペスト』からも、資本主義的・家父長制度的・性差別的植民地主義の実態を喚起する部分は削除されていき、そのことはキャリバン表象にも大きな影響を及ぼした。今のような形で、すなわちシェイクスピアの原作どおりに再び上演されるようになったのは、二○世紀になってからのことだが、それには植民地主義に抵抗する主体としてのキャリバンの復権も含まれていたのである。一七世紀後半から一八世紀にかけての王政復古期におけるキャリバンのイメージは、当時のブルジョワ中心主義を反映して人間離れしたおぞましい怪物として表象された一方で、喜劇的で、社会の支配層にとって危険を感じさせるものではなかった。それは一八世紀後半から一九世紀にかけてのヨーロッパ市民革命の時代を背景として、ロマンティシズムに包まれた「高貴な野蛮人」像へと包摂される。一九世紀にはダーウィニズムの影響による発展段階説がキャリバン解釈にも及び、彼は進化説の「失われた環」として科学的装いとともに登場した。それが二○世紀前半になるとラテンアメリカの国家主義を反映し、キャリバンは搾取される側から見た圧制者のイメージ、特にアメリカ合州国の物質主義的悪徳の象徴へと転化する。そしてアジアやアフリカで植民地が相次いで独立した二○世紀の後半になると、キャリバンは、欧米の圧力に抵抗する全ての虐げられた人々の代名詞へと転換し、南北アメリカ大陸の先住民と同一視されるようにさえなったのである。つまりこの五世紀ほどの歴史は、キャリバンを解釈したり表象したりする主体の自己認識の変化であり、それが他者に脅威を覚えるヨーロッパ人から、他者を蹂躙し支配するヨーロッパ人へと、そしてさらに他者と自己とをある程度同一視せざるを得ない非ヨーロッパ人へと移行していった、とも整理できるだろう。(編者解説「『ザ・テンペスト』から「ア・テンペスト」へ」より)