霊と女たち
杉浦勉 著
定価:本体3,200円+税
2009年7月21日 初版第1刷
四六判上製 288頁
ISBN978-4-900997-24-0
装幀:間村俊一
写真:港千尋
もうひとつの「主体性」の系譜学
スペイン異端審問時代の神秘体験から20世紀メキシコ/アメリカ国境の民衆信仰まで、霊的な経験のなかで生と世界とをつなぐ知を紡いでいた女性たち。幻視する彼女たちの語りを、バタイユ、ラカン、イリガライ、フーコーらの所論、そしてチカーナ・フェミニズムの言説/実践と読み合わせながら、霊性とセクシュアリティとポリティクスとを切り結ばせる。一つの海と七つの世紀を越えて呼び覚ます、女たちによる知と主体の系譜学。
幻視する女たち──スペイン異端審問とジェンダー/セクシュアリティ
霊と女たち
1 ふたりのテレサ
2 恋するロヨラ
3 グワダルーペ村の母と子
4 テレサ、世界の霊性
5 水と合一──テレサ、イリガライ、セクシュアリティ
6 なぜ子を殺したか
7 黒いスピリチュアリティ
8 ビラヴドを癒す
9 魂のピクニックを
彼女にはこの恐怖がある 名前がないということの──グロリア・アンサルドゥーアとチカーナ・フェミニズム
ミシェル・フーコーの霊性
主体が真理へ到達するための諸条件が認識の行為のみとなった瞬間から、真理の歴史の近代が始まってゆく。同時にここから、過去に強大な影響力をもっていた「霊的な知」は、「認識的な知」によって次第に限界づけられ、覆い隠され、おそらく十六、十七世紀には最終的に消去されることになるだろう。しかし重要であるのは、とフーコーはいう、「世界にとっての知」と対峙、対立するように、「人間存在や魂や内面性についての知」を編成することではない、そうではなくて「ある一定の霊性の構造が、認識、認識の行為、その条件と効果を、主体の存在そのものの変容と結びつけて」いる歴史、いわばふたつの知の様式が主体において重層する歴史なのである。ひとりのテレサに代表されるスペイン異端審問時代の女性神秘家たち、そしてもうひとりのテレサが先駆してみせた、現在のメキシコ/アメリカ国境にまたがる「ボーダーランズ」に広く伝播、分布する民衆宗教の女性実践家たちの歴史は、フーコーのこの主題が身体化され、社会化され、言説化される歴史の証言として読むことができる。ふたりのテレサは「霊的な知」を「実践、経験」することにより、「認識的な知」の企てる限界と専制に抗して、真理の主体を生きぬいた女たちである。(55─56頁)
杉浦勉(Sugiura, Tsutomu)
1953年─2008年。
スペイン語圏文学・文化研究。東京外国語大学教授。
編著書に、『ポストフランコのスペイン文化』(水声社、1999年)、『シンコペーション──ラティーノ/カリビアンの文化実践』(共編著、エディマン/新宿書房、2003年)。訳書に、アレホ・カルペンティエル『光の世紀』(書肆風の薔薇[水声社]、1990年)、同『追跡』(水声社、1993年)、フェルナンド・デ・ローハス『ラ・セレスティーナ』(国書刊行会、1996年)、『ルイス・ブニュエル著作集成』(思潮社、2006年)。
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