風雪のデンクマール/“考える記憶”のよすが

1.歴史と記念碑

 

 錆びつき塵埃が溝に詰まった正方形の小さな真鍮製プレートに文字と数字が刻まれている。ドイツの街を歩いていると舗道に埋め込まれたそうした石に気づくことがある。10センチ角のコンクリートブロック表面に、ホロコーストによる迫害者や犠牲者の氏名と生年月日を記した真鍮板を張り込んだ「つまずきの石(ストルーパーシュタイン Stolperstein)」だ。
 アーチストのグンター・デムニヒによりナチスが政権を取って60年後の1993年から始められた市民参加型の記憶と想起のプロジェクトであり、ナチス時代に強制収容所に送られた人々のかつて住んでいた住居前の歩道に何気なく埋め込まれている。死に追いやられた人や迫害から逃れた人が生きた場所の証(あかし)であり、ヨーロッパを中心とした二千を超す地域に八万個以上の「つまずきの石」が設置されている。対象人物はホロコースト被害者に限定されず、ロマ(ジプシー)、同性愛者、精神障害者、共産党員、反ファシスト、脱走兵などにも及ぶ。
 墓石のように立っているのではなく、陽の当たる場所に置かれているわけでもないので、気づかれることは少ないが、ふと歩みをとめ足下を見ると、一種の不意打ちのように、権利を剥奪され、屈辱を与えられた人々の存在を認めることができる。路上の石は、その目立たなさ故に、犠牲者の生活の細やかな領域へ、彼らの住んだ場所の感覚と共に人々を誘う。
 雨や嵐、雪や熱気などあらゆる天候に晒され、人や車に踏みつけられた真鍮板は、腐食や摩耗の影響を受けてボロボロになり、場合によっては剥がれているが、その表面には確かにこう刻まれる。
 「かつては、ここに、住んでいた(HIER WOHNTE)」
 広場や公共建築の前にその存在を誇示する“記念碑”とは対照的だが、この「つまづく石」もまた独語では「デンクマール(記念碑 denkmal)」として取り扱われる。
 ヴァルター・ベンヤミンの絶筆「歴史哲学テーゼ」に影響を与えたウィーンの美術史家アロイス・リーグルは『現代の記念物崇拝─その特質と起源─』(1903年)で、記念物を「人間の行為や技倆のひとつひとつを、次世代の人々の意識に現前させ、鮮明に保つという、確固とした目的のために制作された作品」であるという定義をした上で次のように記す。
 「かつて存在していたが、今は失われてしまった全てを我々は『歴史的』と呼ぶ。最新の用語法ではこの言葉は更に『かつて存在していたものは再び現れえないのであり、かつて存在していたもの全ては発展という鎖の後補不可能な動かしがたい一分節をなす』という考え方と結びつけられる。表現を改めると『全ての事象の成りゆきは、その前に起こった出来事に規定されている。もし前の鎖の一つが欠けていたならば物事はその後、実際に起こったのとは全く別の経過を辿ることになっていたかもしれない』というような思考法である。あらゆる現代的史観の核を占めるのが、まさにこの『発展史観』である」1アロイス・リーグル『現代の記念物崇拝─その特質と起源─』(尾関幸訳 中央公論美術出版 2007年 初版は1903年)
 こうした歴史観によれば人間の営みは例外無く、かけがえのないものとして歴史的価値を持つはずである。しかし夥しい事象を全て扱うことは不可能だ。リーグルはそのために特に際立った行程を代弁するように思われる証拠に限定して歴史が作られてきたと言い、記念物はそのプロセスを象徴的に示すものとみなす。記念物はある種の観念が読解を通して覚醒される文字記念物でも、その内容が感覚的に感知される芸術的記念物であってもいい。その時は芸術的記念物もまた歴史的記念物であるという認識が必要になる。リーグルは意識的記念物と無意識的記念物の違いにも触れながら、記憶と作品の問題へ踏み込んでゆく。
 「意識的記念物であれ、無意識的記念物であれ、そこでは記憶の価値が問われているからこそ我々は“デンクマール(記憶のよすが)”という呼称を用いる。いずれの場合にも我々の関心は更に創造の手を離れたばかりの、まだ損なわれていない作品本来の姿へと向かい、更には想像力や言葉、画像によってその作品を再構築してみようとする。しかしながら意識的記念物の場合、記憶の価値は他者(即ちかつての創造者)によって与えられたものであるし、無意識的記念物の場合、それは我々鑑賞者によって定義されたものとなる」2同上
 独語の「デンクマール denkmal」は、「デンケン(考える)」という動詞と「マール(印)」という名詞の合成語である。通常は「記念碑」と訳されるが、字義的には記憶の価値を人の内面に強く喚起する思考の引き金のことである。記念碑は今を生きる者に生成と衰滅の循環を想起させ、個として世界から出現し、緩慢に世界へ埋没してゆく自らの運命を悟らせる培養土となる。

 2.日常性のクンスト

 

 東日本大震災から1ヶ月後の2011年4月13日に亡くなった歴史家の多木浩二は自らも一時期、建築写真家として活動していた経験を踏まえ、言葉にできない何かを写すことができるのが写真であると語ったことがある。篠原一男の建築を撮った写真の話の中で、建築は考える要素が多いが、建築を語ることと建築の写真は別物であり、建築を考えるために写真を撮るのではなく、言葉にできない何かを写すのが写真家の役割だと語った。また自分はもう写真家ではないが、写真とは何かを考えるよりも、写真に触発されながら、何かを考えてゆきたいとも言った。芸術でしか考えられないことがあり、それを芸術のみで使うのではなく世界へ開いてゆくことが大切であり、芸術を一つの方法として世界を読んでみたいという言葉も印象に残る。3東日本大震災の2年前の2009年1月28日に東京藝術大学で行われた多木浩二を招いた特別講演会に於ける発言 対話者は大島洋と伊藤俊治)。
 多木浩二は歴史に対してどのような姿勢で自分の身を置くのか、そうしたことを考え、選択し、決断することが芸術の役割ではないかと問うた。同時に遺作となったその『映像の歴史哲学』では、写真の眼差しが辿り着くのは歴史に登場しない歴史であり、現代の本当の主題となりうるのはこの歴史に登場しない歴史であると言った。
 「写真の視線が辿り着くのは歴史のなかには登場しない歴史である。別に隠れているわけではないが、理性の眼にはとまらないのだ。本当に主題になるのは歴史のなかには登場することのない歴史である。タイタニックの沈没は歴史に書き込まれるが、溺死者のながいながい漂流は歴史の外にある。どこからか流れてきて、浜辺に次々と打ち上げられてゆく溺死者の群れのように写真は生まれてくる。その写真の一枚一枚に名もない死者たちの、なまぬるいため息がひそんでいる」4多木浩二『映像の歴史哲学』(今福龍太編 みすず書房 2011年)。
 10年前には生々しく直接的に思えたこの溺死者の隠喩も今となっては、死者の眼差しの内側からのメッセージという意味を生じさせる。
 さらにそれまで「私」という言葉を極力避け、日常と距離をとった視点から思考の営みを続けてきた多木浩二が、『映像の歴史哲学』に収められた「クンスト/日常性の技芸を守る」では、日常性のかけがえなさに焦点をあてている。「日々の術(クンスト)」が失われてしまえば、人間の生など跡形も無く消え去ってしまう。東日本大震災から現在のコロナ禍まで、私たちはそのことを痛感しながら生きているが、多木はそれ以前から世界の大きな変化をひしひしと感じ続けていたようだ。5同上。
 ある時代を生きている人間は日常を構成する微細な特性を肉体化してしまっている。あるいは意識より深いレベルでそれらの小さな営みと溶け合い、そのことを意識化できない。私たちの意識は常に現在という局面との対応の形でしか現れてこない。それ故に多様な現象の混在の中で、そうした多様性を可能にしている“潜在するフレーム”を時代の底に見出そうとする創造性が必要とされる。
 歴史を語ることの困難さはこのような時代のフレームやそのフレーム転換が極めて突き止めにくい形で埋もれているからである。時には複数のフレームが癒着したり、交錯したりして、選り分けることができないこともある。写真にしても、写真は視覚的直接性が強いから見ればわかるとされるが、それは既に見えない言葉が見る者に共存しているせいである。その共有された言葉は時代により変化してゆく。だから見えない言葉の積み重なりや関係という支えが無くなれば、その写真も見えなくなる。しかも時代を織り成していたこうしたフレームにようやく気づくのは、そのフレームがすっかり消え去ってしまった後だったりする。時代のフレームとは長い視野の中でしか見えてこないものなのである。
 「クンスト/日常性の技芸を守る」で、多木浩二は、文化はつまるところ言説の活動であると書き出す。その言説の活動を行い、日常生活を続けてゆくことが人間の最低条件となる。それを行えなければ「戦争化した世界」を生き抜くことはできなくなってしまう。あっという間に広がり、内面化していった「戦争化した世界」は、人を破壊し、生活を根こそぎ奪ってしまう。その時に初めて私たちが生活している日常が私たちをあらしめていることがわかる。人間を構成するのは大文字の思想や芸術ではなく日常生活であり、日常生活が文化をつくりあげる大切な技である。「戦争化した世界」で重要なのは日常生活にも芸術文化にも通じる「クンスト(kunst)」であり、それは守り抜かねばならないものとしてある。そのクンストの大切さを伝えられたら、自分の役目は終わったようなものだと多木は締め括った。6同上。

3.「あかし」としての作品

 

東日本大震災10年を期して青森県立美術館で行われた企画展「あかし testaments」(2021年10月9日〜2022年1月23日)を見ながら、「あかし」とは何を指し示しているのかを考える。
 日本各地のさまざまな寂れ果てた風景を厳格に撮影し、時間層が何重にも重なり合いながら“歴史の不在”を表明し続けるイメージを探求する北島敬三、故郷の韓国済州島の歴史的出来事にまつわる記憶を主題に死者との細やかな対話を行うコ・スンウク、青森八戸を拠点に演劇・舞踏・美術を横断する活動で精神の地下の廃墟へ入りこんでいった豊島重之、沖縄戦や基地問題など出身地沖縄の歴史と対峙しながら、土地に根ざしながらも垂直的な振動を震わせる映像を発表する山城知佳子……彼らの作品から湧き上がる歴史の泡粒を聴き分けながら、改めて「あかし」とは何なのかと自分に問う。
 「あかし」の英訳の「testaments」とは「真実であることや存在することの証明」ということである。その言葉には「遺言」や「遺書」、「聖書」や「神との契約」の意味もある。派生語の「testimony」には「証言」や「宣誓書」、あるいは旧約聖書の「十戒の石板」の意味も含まれる。
 展覧会のチラシにはヴァルター・ベンヤミンの『歴史の概念について』から「かつて生じたことで歴史にとって、失われたと見なされるものは何ひとつない」という言葉が引用され、「かつて生じたことを何ひとつ失うことのないあの〈歴史〉の姿」を一瞬垣間見る作品のモンタージュの可能性が言及されていた。そのような捉え難い、言葉に還元できない歴史のフィールドへ展覧会は目を向けようとする。7ヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について』(鹿島徹訳 未来社 2015年)。
 広い土間のような高い天井の空間の中で、被災地を含む日本の遺棄された風景を撮影した北島敬三の「UNTITLED RECORDS」シリーズを見て、それらの風景が海から這い上がってきたばかりなのではないかと思った。いや、それらの風景の広がりと対決する時間軸を測深鉛のように落とし込んだ北島の肖像写真シリーズ「PORTRAITS」も、コ・スンウクの「白碑と百碑」も、豊島重之の「種差」のポスターに添えられたテキストも、山城知佳子の「沈む声、紅い息」も、海から上がったようなただならぬ気配を漂わせている。荒れ狂う海がようやく収まり、ゆっくり海面から浮上してきて、海の経験を語り始める。
 「UNTITLED RECORDS」は、21世紀の日本列島を急速に浸潤してゆく“顔と名前を失った風景”への目覚めである。その見捨てられ、凍りついたような風景はやがて東日本大震災以降の被災地の風景と重ね合わされていった。
 行方不明になり出口を見出せなくなったこの無人の風景を見ていると得体の知れないものが足下から這い上がってくるような気持ちになる。それはこの風景が知らぬ間に私たちの記憶の奥に何重にも滑り込んでいた特別な光景だからだろう。世界をモノとして捉えるのではなく、世界をたちまちモノ化してしまう現実の下へ埋もれている怪物を、繰り返し掘り起こす。その営みにより世界はそっくり写真の細部と物性へ、沈黙と不動性へ、屈折してゆくことができる。
 「UNTITLED RECORDS」には時代を潜り抜けてきた経験が積層する。まるで海中へ潜り込み、藻掻き苦しみ、死にそうになった風景の呟きを聞き取ってきたような経験が映り込む。濁流に洗われ、波を超えてきた鮮烈な肌理や、降り注ぐ風雪に打たれた緊張感を秘めているのはそのためなのだろう。汚れが層を成し、褪色し、黴や錆がこびりつき、廃れ朽ちた風景が無言でその経験を物語る。風景は遺棄され、無いもののように放置され続けたのだから、風景はそのため息と共に記録されなければならない。
 溺死者の思いを伝えようとするなら、その死者へ入り込み、その眼の裏側から世界を覗く想像力が必要なように、遺棄された風景の肉声を聴くには、その内部からレンズを広げて世界へ分けいるような眼差しが必要なのかもしれない。しかしこの行為は感情移入とは別物である。風景へ入り込み風景を現在から逆照射するには独自の物語る術が必要だ。積み重なった地層の裏側から外界を覗く技が鍛えられなければならない。その技によって魔法をかけられた現実のヴェールが剥がれ、新たな風景の皮膚が現れてくる。

 4.最後の前の最後のもの

 

 大きな危険や恐怖を体験すると強い不安感や無力感が心身深くに刻み込まれる。その体験が事後にイメージとなり反復的に現れることもある。個人ではなく集団の深層に刻印されるこうした恐れの共有反応は、関係する人々に吸収され、世代から世代へ伝えられ、文化的アイデンティティを変容させてゆく。それは無意識的に溜め込まれた小さな痙攣の身振りの伝搬である。
 集団の深層に刻まれた傷は個々人が次々と手を繋いで踊り出すように発現し、不安や恐怖の再現をもたらす。その共感的な不安定が日常の感覚を阻害してしまわないようにするには傷との厳正な対峙による乗り越えという手段しか残されていない。
 ドミニク・ラカプラが『歴史を書く、トラウマを書く』で示したように、「傷」を再現してしまう主体と見者が、「傷」との距離を設定できるように、対象を曖昧だが全体性を感知させるイメージにする方法を模索させるしかない。そうした方法により、瞬間的な強度を伴う体験を、省察を伴う経験へ転化させるきっかけを掴ませ、倫理的な脈絡を失わずに掘り下げることを可能にさせる。8Dominick Lacapra, Writing History,Writing Trauma, Johns Hopkrns University Press, Baltimore,2000.
 しかしそれを単なる“作品”にしてはならない。再現の限界を指し示すような事件は生半可な理解や判断による再現を禁じられている。再現には十分すぎる慎みと配慮が前提としてあらねばならず、直接的で不作法な方法ではなく、芸術的な意味作用に基づく繊細な操作がなされ、それが新たなイメージの芸術を作動させなくてはならない。ただ再現不可能な傷こそがむしろ再現を切実に求めているのだ。だから芸術はその逆説を踏まえ傷を再現してゆかなければならない。芸術の使命と責任がそこにある。
 傷は日常的なレベルの記憶には浮かび上がることはない。傷は無意識の海で揺動しながら、型に納まった経験を変形したり、破壊したりし続けている。だから海に没入しない浮力が必要であり、傷にできる限り接近してゆく抑制が大切である。そのような潜水により沈黙のため息を聴き取り、それを転移させてゆく。傷は正確に記憶されなければならない。記憶はじっくり意味を深めてゆく過去の記憶となることを望んでいる。人間にはあるが、記憶には辿り着く終着駅はないのだから。
 ナチス時代を亡命者として生き延びた映像史家ジークフリート・クラカウアーはその『歴史─永遠のユダヤ人の鏡像』で、歴史と写真の間には平行関係があるとし、偉大な歴史家の多くがその重要性を彼らが「国外追放者」だった事実に負っているという興味深い指摘をしている。9ジークフリート・クラカウアー『歴史─永遠のユダヤ人の鏡像─』(平井正訳 せりか書房 1977年)。
 歴史家も写真家も、場所をもはやその場所に属していない者の眼で見ているという共通するスタンスを抱える。彼らは自己抹殺や故郷喪失の極みで、時代の抽象性を克服し、歴史と交差することができた。クラカウアーはこのような“構え”を「最後の前の最後のもの」にフォーカスを当てる集中であるとした。
 「最後」というのはたとえ人間が完全に消滅したとしても存在するだろう「客体」を再現することだが、その地平へ辿り着くことは不可能であり、生煮え状況の沸々とした歴史の営みを再現することはできない。だとするならどのような方法で歴史は可視化されうるのだろうか。どのようにして記憶を巻き込んだ複雑な歴史の関係を見えるものにし、時間の奥行きや重層性を喚起できるのだろうか。そもそも歴史概念の中心に置くべき方法など存在しうるのだろうか。
 「あかし testaments」展が、私にとって重要なのは、それらの作品群があえて“最後の前の最後のもの”を想起しながら、新たな語り口を模索しようとしているということだった。人間を“最後のもの”と認識する歴史という眼差しの、その隠された力の内側に住みつくイメージを引きずりだすことは可能かもしれない。カタストロフィが常態化し、世界崩壊が繰り返され、現在の混沌に脚をとられ、現実という泥沼に引きずられながら、世界についての経験とその渇望を語りだそうとしている。問いかけてゆくと果てしない混乱に落ち続けてしまう時代の中で不安と焦燥を宥めながら、語り口を探し出そうとしている。口籠もりや言い間違いを恐れず、語ることを放棄しない。全ての人が固有の個人であると共に、それを超えて、彼らが生存する世界の片割れであることを語りだそうとする。歴史を記述するとはそのような試みであることを繰り返し確かめながら。物語る表象への方向を示す精密な“構え”を崩さずに。
 多木浩二が遺作で語ったように、写真は「まだ見ぬ歴史が始まる場所」でもある。歴史の海を漂流する溺死者の群れのように、泥濘と藻屑の舞う海の只中で、写真は世界の隠された視線そのものとなる。

(註1)アロイス・リーグル『現代の記念物崇拝─その特質と起源─』(尾関幸訳 中央公論美術出版 2007年 初版は1903年)。
(註2)同上
(註3)東日本大震災の2年前の2009年1月28日に東京藝術大学で行われた多木浩二を招いた特別講演会に於ける発言 対話者は大島洋と伊藤俊治)。
(註4)多木浩二『映像の歴史哲学』(今福龍太編 みすず書房 2011年)。
(註5)同上。
(註6)同上。
(註7)ヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について』(鹿島徹訳 未来社 2015年)。
(註8)Dominick Lacapra, Writing History,Writing Trauma, Johns Hopkrns University Press, Baltimore,2000.
(註9)ジークフリート・クラカウアー『歴史─永遠のユダヤ人の鏡像─』(平井正訳 せりか書房 1977年)。

・東日本大震災10年 あかし testaments(2021年10月9日(土)~2022年1月23日(日))     http://www.aomori-museum.jp/ja/exhibition/20211009/

・展覧会図録『東日本大震災10年 あかし testaments』
 https://inscript.co.jp/b1/978-4-90099792-9