連載|山影の町から 04

工事の日々

©️Kasama Naoko

 ちょうど世の中が不安のなか、ひっそりとしていった三月ごろから、家の敷地には、いろいろなひとが訪れるようになった。

 外構の整備されていない家だったので、境界フェンスの設置と進入路の舗装を、だいぶ前から計画していた。世話になっている植木屋のOさんに依頼し、Oさんは職人仲間に声をかける。 最初の工事は、庭木が成長しても引っかからないよう、電線の地中埋設。Oさんがバックホーで溝を掘ってケーブルを埋め、電気屋のIさんがメーターの切り替えをおこなう。終了後しばらくすると、不要になった電柱を、電力会社の作業員が抜きに来た。

  次いで、フェンスの土台となるブロック積みの工事がはじまった。土木作業は、やはり植木屋と親しい二人組の職人、AさんとTさんが担う。Oさんが陽気なので、三人のときは休憩時間に冗談を言い合ったりして、楽しそうだ。

  それぞれに複数の現場を持っているので、ひとまとまりの作業が終わると、そのあとは材料の調達と、スケジュールと、天気との兼ね合いで、次の工期を決めていく。梅雨が明けた八月に、木製フェンスの製作が済み、製材会社の担当者が施工の段取りを確認しに来た。土工の二人がブロックの上に取りつけていく。

  フェンス設置が済んだ九月半ば以降、AさんとTさんはほかの現場が忙しく、舗装工事がはじまったのは十一月に入ってからだった。一か月ほど、二人は連日通って、コンクリート打設や玉砂利洗い出しなどを着々と仕上げた。基本は二人での作業だが、コンクリートを打つときは、生コン車が到着して、四、五人が敷地内を行き交う。門扉を作ってもらっている鍛鉄作家のNさんも来て、門柱を設置していった。

  十二月上旬に、予定の工事は完了した。仮植えにしてある苗木を定植する作業が残っているけれど、これはOさんによれば、早春、木が目覚める直前の時期がいいとのことなので、もう少し先になる。

 このような敷地内の日常は、世界を一変させたはずの感染症とは無縁だった。唯一、電気屋の使う部品の一部が中国製のため入荷が遅れるかもしれない、と言われたことがあったが、結局、遅れは出なかった。たとえば農業でも、同じことだろう。戸外で、人ではなく物を相手にする仕事なら、受注や売り上げには影響があるとしても、手を動かす仕事自体は変わらない。

 わたしは、庭を行き来する人々に助けられた。基本的には勝手に来て勝手に帰っていくのだが、こちらの通常業務が宙吊りになっていた四月も、毎朝八時に外で音がしはじめる。そして、十時、十二時、三時になると、音はぴたりと止む。自分の家のために働いているひとがすぐそこにいる以上、こちらもそのつもりで床を出る。施工の細部について確認が必要な場合もあるから、日中いっぱい、一応は外に出られる恰好で過ごす。日々、おおよそ定時に起きて着替える理由があるのは、支えになった。

 でも、助けられたのは、単に彼らの仕事が規則的だったためではない。第一、開始・終了や休憩の時間は、完全に毎日同じというわけではなかった。資材を取りにどこかへ寄ってから家に来れば到着は遅れるし、当日中に終えるべき(かつ大きな音の立たない)工程があれば、照明をつけて夜遅くまでつづける。逆に、その日のうちにできる作業が終わってしまえば、早めにあがることもある。最後の舗装工事のときは、完了間際に、すみません、前の現場の追加工事が入っちゃって……とのことで、五日間ほど作業が止まった。

 だから、彼らは、いたり、いなかったりする。主に来ていたAさんとTさんは、会社に雇われた作業員ではなく、二人組で動いているから、融通が利く、ということもあるだろう。植木屋のOさんや電気屋のIさんも、自分の屋号で仕事をしている。

 誰かの指図ではなく、自分の判断で、真面目に、無理なく、それぞれに習得した技術を活用して働いていること。土地の様子や施主の希望に合わせ、その場で作業内容を自在に変化させていくこと。各工程にかける労力が、報酬や効率よりも、ここはこうしなければちゃんと仕上がったことにならない、という、むしろ矜恃と呼ぶべきものを基準としていること。そして、そうやって毎日作業を進めた結果が、この部分までコンクリートを打った、縁石をここまで並べられた、というように、物のかたちとして目に見えること。こうした彼らの仕事のあり方が、わたしには力になった。一言で言えば、人間的だと感じたのだと思う。

 メイ・サートンの『夢見つつ深く植えよ』や『独り居の日記』に描かれる老農夫、パーリー・コールを思い出す。サートンは、自分の所有する農地の手入れを請け負っていたパーリーの仕事ぶりに見られる、まさに矜恃と、根気について語った。彼は過ぎ去った時代から来た幽霊なのかもしれない、とも書いていて、たしかに機械化された道具を一切受けつけないところなどは過去の亡霊めいているけれど、とはいえ篤実な働き方自体は、体を使う仕事に目が行きにくい「都会の人間」が思っているよりもずっと普通に、今日なお生きているのではないだろうか。

 そして、サートンの言うとおり、パーリーのようにきちんとおこなった職人仕事は、ものを書く仕事に似ていて、時には手本にもなる。だから、彼らがコンクリートを半日かけてコテでならしたりしていると、わたしも、そうか、と納得し、なんとなく腰の据わった気持ちで机に向かっては、目の前の不揃いな言葉を、繰り返し整えた。

笠間直穂子(Naoko Kasama)

フランス語文学研究・翻訳。國學院大學文学部准教授。宮崎県串間市生れ。著書に、『文芸翻訳入門』(フィルムアート社、共著)、『文学とアダプテーション』(春風社、共著)他。訳書に、ンディアイ『心ふさがれて』(第十五回日仏翻訳文学賞)、『みんな友だち』(以上、インスクリプト)、『ねがいごと』(駿河台出版社)、モーパッサン『わたしたちの心』(岩波文庫)、フローベール『サランボー』(抄訳。集英社文庫、ポケットマスターピース 07)、シャルル・フェルディナン・ラミュ『パストラル──ラミュ短篇選』(東宣出版) 他。