西武鉄道の西武秩父駅と、秩父鉄道の秩父駅とを結ぶあたり、端から端まで歩いて十五分ほどの範囲に中心街がおさまるところが、ここは住みやすそうだと感じた理由のひとつだった。フランス留学時代に三年ほど住んだルーアンの旧市街も、このくらいの大きさだった。ルーアンにかぎらず、ヨーロッパの中程度の地方都市なら、おおかた似たようなものだろう。
だから、小さい、とは、あまり思わなかった。再開発による駅前ロータリーと駅前ビルでもなければ、賑やか一方の駅前商店街でもなく、かといって地元の生活を脇へ押しやった観光地の街並みでもない。年季が入ってほどよく燻った、個人商店と住宅の交ざる小さな通りが静かにつづき、少し歩き疲れたころ、住宅中心になってくる。ヨーロッパのどこかの町に着いて、ぶらついてみるときの感覚に近い気がした。
そのくらいの大きさの町だから、外へ出れば、知っている誰かによく会う。道端では、たまたま向こうからきた知り合いと挨拶し、店に入ると、店主とひとしきり話す。
よそから遊びに来た友人と一緒にいるとき、そうやってあちこちで立ち止まっていると、すっかり溶けこんでるね、と言われることがある。同じ町に住む親しいひととばったり会って言葉を交わすのは、もちろん、楽しいことなのだが、溶けこんでいる、と言われると、引っかかる。内心、そうでもないけれど、と思う。
排除されているなどと言いたいのではない。なにか話したいことがあるときに話せる場所、特に話すことがなくてもいられる場所が、わたしにはいくつかあって、そうした場所に助けられている。そういう場所がありそうだ、というのも、町の規模とともに、ここに住みたい気になった一因だった(本連載09「山の向こう」)。
ただ、そこで会う人びとは、ずっと地元に暮らしてきたひと、いったんよそへ住んで戻ってきたひと、仕事や結婚で移ってきたひと、縁はないけれど住みついたひとと、さまざまである上に、地元出身者ひとつを取っても、地域との関わり方は個人差が大きい。隣近所の人びとにしても、同様だ。第一、わたしが特定の誰かと仲良くなるのは、当たり前のことだが、趣味や感じ方に共通点があったり、気が合ったりするからで、出自は、あまり関係がない。
溶けこんでいる、と言われて、腑に落ちないのは、この地域を、住民ごとひとつのかたまりのように見なしていること、また、そのかたまりの一部になるのを、移り住んだ者の当然の目標のように捉えていることを匂わせるからだろう。実際に暮らしていれば、ここで会うひとの顔は、それぞれに違う。それに、わたしは、どのような集団にも、完全に馴染むことはいままでなかったし、たぶん、これからも、ないと思う。
前回も少しだけ言及した、絲山秋子の『薄情』(2015)は、著者の住む高崎とその周辺を舞台に、地元の者と、よそから来た者との関係を掘り下げる小説と言える。
定職に就かず、レタス収穫の住みこみ季節労働以外の時期は実家で暮らす主人公の宇田川は、「家にいても間が持たないとき」、郊外へ向かう。畑や資材置き場などがつづく茫洋とした景色のなかに、東京から移り住んだ木工職人、鹿谷の工房がある。ここは、土地の者と移住者とを問わず、年齢も職業もばらばらの数人が、知り合いづてでなんとなく寄り集まって、コーヒーを飲んだり喋ったりする、出入り自由の緩やかな居場所だ。鹿谷には、本心を見せない謎めいたところがあるが、他人との深い付き合いをつねに避けてきた宇田川には、そんな鹿谷のつくるこの場所の雰囲気が心地いい。
しかし、鹿谷がこの均衡を破る不祥事を引き起こしたとき、鹿谷は、いわば、存在を消される。少なくとも宇田川は、今後そうなるに違いない、と考える。自分たちは鹿谷のことが好きだったが、この先は彼の話題を封印して、元から彼などいなかったかのように振る舞うだろう。本人には冷酷と思われるかもしれないが、これはよそ者に対する自分たちの一種の礼儀なのだ。それに対して、不祥事のきっかけとなる恋愛沙汰を起こした宇田川の元同級生、蜂須賀は、しばらくは地元で非難の的となるだろう。白眼視されるのは、彼女にとってきついことだが、これは鹿谷と違い、土地の者ならやり直しの可能性が残されていることを意味する……。
本作の語りに充満する、こうした宇田川の内的独白は、筋が通っているとはかぎらない。揺らぎ、相矛盾する、ときに身勝手な考えが、地の文に書き留められていく。自由に見えた鹿谷に対する、憧れと、劣等感と、親近感と、うっすらとした悪意。彼の生きる上での構えである情の薄さ、投げやりさを通奏低音として響かせつつ、土地に生まれ育った者がよそからやってきた者に抱く微妙な感情を、作家の手は精緻に写しとる。
なぜ、そうまで微妙なのか。宇田川は、自分は本当のところ「放浪に向いてる」と蜂須賀に言う。「でもどこにいても変わらない」からこそ、地元を離れてよそへ行ったからといって「思うようにはなんない」とも。
よその者なら誰でも不安定な状況にあって、地元の者なら誰でも安定している、という固定した対立があるわけではない。当然だ。現に、他人に距離を置く宇田川は、どこにいようと、確固たる人間関係に寄りかかることができない。彼は地元に暮らしながら、自分の「よそ者性」を持てあましているように見える。そう考えると、鹿谷は宇田川にとって、対立項というよりは、鏡であったのかもしれない。
どこにいようと、どこかしら、よそ者であること。これは絲山秋子の描く人物たちに共通する性質であるようだ。その「よそ者性」は、土地の移動という出来事とともに顕在化する。大都市圏と地方とのあいだの移動にかぎらない。名古屋から高崎、九州縦断、福岡から富山、熊谷から札幌、矢木沢ダムとパリと八代。それぞれの土地には、元から住んでいるひともいれば、転勤や結婚によって移ってきたひともいて、さらには前者と後者を親にもつ子どももいるのだから、出自にまつわる「ここ/よそ」の度合いには無数のグラデーションが生じる。方言や習慣などに表れる、そういった地域的な「よそ」と切り結ぶかたちで、より根源的な乖離の感覚が示される。
絲山秋子は、会社員時代に二年住んだ高崎へ、作家デビューから三年後の二〇〇六年に、あらためて引っ越した。「東京」を特権化することなく地方間の移動をフラットに描き、同時に「都会」と「田舎」、「地元の者」と「よそ者」という抽象的な二項対立をこつこつと切り崩しながら、個々人の「よそ者性」を炙り出す。これができるのは、やはり、高崎という地方都市に軸足を置いているからこそだろう。
ところで、絲山の描く人物たちにとって、どこにいても、どこかよそ者であるという、現実からの乖離の感覚は、往々にして病や不和、焦燥や諦念と結びつくが、ときに、物語の終盤にかけて、そうした負の意味づけが、彼らの内面において、不意に霧散する瞬間が訪れる。彼らは、そのとき、自動車を運転している。
『薄情』の結末で、帰宅する代わりに東北道に乗り、大した理由もなく鶴岡を目指す宇田川。『夢も見ずに眠った。』で、青梅から名栗を経て秩父方面へと峠道を走る高之。短篇「葬式とオーロラ」で、恩師の葬式のため「キタグニハイウェイ」を使う巽も、ここにふくめたい。宇田川と、高之は、ただ走りたくなって、無為に走る。巽は、急用があっての長距離往復だが、雪の高速を延々と走る上に、思わぬ出来事もあって、もはや目的がわからなくなりかけている。
運転しながら、彼らはとりとめなく、考えごとをしている。そのうちに、微細な変化が内面に生じる。これは絲山の語りに独特なもので、言い表すのが難しいのだけれど、あえて言ってみるならば、どこにいても、ここではない気がする、という、彼らの抱えてきたわだかまりが、どこへでも行ける、という感触に転じるのだ。乖離は融合にいたらず、理路は立たないままなのに、反転する。その刹那、彼らはなんらかの真実に出会う。
わたしはかつて、四百㏄の二輪車にしばらく乗っていたことがあるけれど、四輪の普通免許を取得したのは六年前、東京を離れようと思いたってからのことで、多少の遠出もするようになったのは、ここ二年ほどのことにすぎない。運転できているとは、まだ言いがたく、失敗もある。ただ、四輪車を運転しているときの心的状態については、二輪ともまた違う特有のものがあると思うようにはなっていて、絲山の書く微細な恩寵の瞬間は、あの走りつづけているときの、遊離と包容が同調するような感覚と重なるのではないか、という気がしている。
過去と未来を同じものにしていたのは自分だった。宇田川は今まさに、過去が過去になっていくのを感じた。ウィンカーが刻む音だけが、たしかなものになった。(『薄情』)
笠間直穂子(Naoko Kasama)
フランス語文学研究・翻訳。國學院大學文学部准教授。