©️Kasama Naoko

 いつ目にしたものだったか、どういう状況だったか、背景はなにもかも忘れているのだけれど、都内のマンションに暮らしていたある日、部屋の天井に不可思議な光がゆらめいているのに気づいて、はっとした。小さな水面に差した日光の反射だった。なんの水だったのかも覚えていない。アボカドやマンゴーの種を発芽させようと、容器に水を張ったなかへ入れて、日当たりのよい窓辺に置いたことが何度かあったから、その水だろうか。

 ほんの些細な水面だが、思いがけない位置に水紋を映すのを見たとき、一瞬、ここがどこだかわからなくなるような、異世界に迷いこんだような感じがした。少しの水で、風景の奥行きが一変することを悟った、その瞬間だけが記憶に残っている。

 庭園や公園を歩くと、水辺に引き寄せられる。池を眺めるときの心の鎮まり方は、ほかでは得られないものだと思う。十代、二十代の落ち着かない日には、日比谷公園の池のほとりのベンチに座った。清澄庭園の池の飛び石から見る水面の光も忘れがたい。石神井公園や浮間公園は、敷地の大半を占める池の景色ゆえに、わたしにとって特別な場所だ。

 自分の自由になる土地が手に入ったとき、当然、小さな池をつくりたいと思った。けれども、もともと水があるわけではないところへ水を溜めて、きれいに保つには、やはり、こまめな維持管理が要るようだ。大がかりな工事をしておいて、藻に覆われたきり、あるいは涸れたきりの無惨な穴を庭の真ん中に晒すのは避けたい。

 もう少し様子を見ようと思いつつ、なにか物足りない心持ちでいたところへ、ある知人が、鳥のために深皿に水を張って庭木の下に置いているのを知った。たくさんのシジュウカラが水浴びに来るという。

 近所の古物屋へ行き、主人のNさんに用途を説明すると、皿代わりに、大きめの陶製の花器を勧められた。円形がひとつと、長方形がひとつ。居間兼食堂の掃き出し窓から見えるイロハモミジの根元に、コンクリブロックを置き、その上に花器を載せて、水を入れる。じきに、鳥はやってきた。

 イロハモミジのすぐうしろにはウメの大木があり、隣にはナンテンとユズがある。鳥は枝を行き来する途中に、水盤のへりに足をかけて水を飲んだり、中へ入って羽根の汚れを落としたりする。窓から近い位置なので、室内にいながら、よく見える。

 年中来るのは、賑やかなメジロやスズメの群れ、やや図々しいが憎めないヒヨドリ、そして、一度巣箱が水浸しになって以来、その場所には営巣しないけれど、木々や水場にはよく寄ってくれるシジュウカラ(05「巣箱の内外」)。ひとまわり大きいツグミやムクドリも来るし、キジバトのつがいも見かける。冬は、なぜか毎年決まって、ジョウビタキのメスが一羽だけ居つき、あちこちに留まっては、可憐に尾を振る。

 寒冷地の秩父では、冬になると、夜間に水が凍るので、朝、起きると外へ出て、氷を割り、水を替える。毎朝そうしていたら、割り方が乱暴だったのだろう、円形の花器はひびが入って水が漏れるようになってしまった。後釜に、祖母から受け継いだものの使わなくなった無水鍋の蓋を据えた。新しい水が入ると、ときには何種類もの鳥が、待っていたように代わる代わる訪れる。

 鳥がいないときは、ネコが来る。向かいのTさん宅の三匹のほか、この辺りは半野良も多いため、入れ替わり立ち替わり、それぞれに自分の庭だと思っているふてぶてしさで悠々と過ごす。水盤を置いたあたりは日当たりがいいので、水を飲んだあと、しばらく近くに腰をおろして、日を浴びる。

 あるときは、水に顔をつけている姿が、どうもネコと違うので、よく見ると、タヌキだった。裏の藪に住んでいるのだろうか。ずいぶん痩せていた。

 少しの水があるだけで、ほんとうに景色は変わる。いろんなものが集まってきては、なにかの入口であるかのように、光る水面を覗きこむ。

 室生犀星が庭を論じたなかに、水の話があった気がして、『庭をつくる人』を開くと、冒頭から、「つくばひ」の項だった。曰く、「水といふものは生きてゐるもので、どういふ庭でも水のないところは息ぐるしい」。つくばいの水だけでもいいから、せめて一箇所は水がほしい、とある。これは犀星一人の趣味というよりも、日本庭園のおおもとの考え方のような気がする。

 ただ、犀星は、つくばいや井戸は好むが、池は「何となく好いてゐない」。流れがあるなら、池をつくってもいいけれど、街なかで水道の水を引くくらいなら止めたほうがいい、と言う。要するに、よそからもってきた水を絶えず継ぎ足すような池は、わざとらしい。それに、透明すぎる。「池は水の色の蒼みと何とも言へぬ濁りが尊い。曇天の如くして然らざるものである」。

 そう、池は、かけいの水が絶えず流れこむつくばいや、毎日水を替える鳥の水場とは、似て非なるものだ。ひとつ、思い出すことがある。

 木の根元に置いた水場とは別に、ある夏、バケツに汲んだ水を玄関先に置いていた。蚊の多さに閉口して、対策を調べていたら、金魚やメダカを飼ってボウフラを食べてもらうほか、水に銅を入れておくとボウフラの成長を妨げる、というものがあり、半信半疑ながら、ともかくも簡単なので、試したのだ。

 結果としては、たしかに水に銅線を入れておくと、産みつけられて孵化したボウフラは、いつまでも水底にいて成長しないようではあった。とはいえ、もとより家の裏手は鬱蒼とした藪であり、草をまれにしか刈らない庭も蚊には居心地がよいから、総数が多すぎて、バケツ一杯分減ったからといって、生活上、効果を感じるほどではなかった。しかし、そうやって溜め水をときどき覗いていたところ、ある日突然、ボウフラよりもずっと大きな黒いものが泳いでいた。

 いまでも悔やまれるが、わたしはそのとき、あまりに驚いて、とっさに水ごと捨ててしまった。一瞬のち、ヤゴだ、と気づいたけれど、もうどこへ行ったかわからない。ヤゴならボウフラをたくさん食べる上、水上にのぼれる場所を用意してやれば、トンボの羽化も見られたかもしれない。

 バケツ一杯の水でも、こうして置いておけば、中から生きものが「湧く」。外から鳥やネコが近づいて、覗きこみ、口をつけるのとは違う。いわば、次の段階だ。なにもいない「きれいな」水から、鯉や金魚などの生きものの暮らす場へ。さらに、そこには、藻なり、アメンボなり、カエルなり、わたしの関知しないものが勝手に湧き出す。水は蒼く濁っていく。池がはじまる。

 思えば、そういうものとしての池を、藤枝静男は書いた。

 『田紳有楽』の主要な舞台である骨董屋の庭の池は、濁っている。鯉と鮒と金魚のほか、主人が田んぼで獲ってきて入れたタニシやオタマジャクシなどが暮らし、底にはアオミドロが沈む。一段深くなったところに、志野焼のグイ呑み、柿の蔕茶碗、丹波焼の丼鉢、それに唐津と備前の皿が一枚ずつ埋まっている。偽骨董品を商う主人が、泥や藻に漬けることで由緒ありげな肌合いに育てるべく、放りこんだのだ。

 グイ呑みが金魚と恋に落ち、丼鉢が空を飛び、茶碗が人間に化けるという、奇天烈な展開を通じて描かれるのは、すべてが流転する世界のありさまだ。話が進むにつれ、主人が骨董屋であり丼鉢は丹波焼であるといった、登場人物たちの基本的な身分や出自は次々と変容していく。池は下水管を通じて川へつながり、焼き物たちは放浪するから、舞台も遠州灘へ、チベットへと、流れていく。

 輪廻の思想がそこにあるのは言うまでもないが、それにしても、無機物と有機物の境すら超え、目まぐるしく万物の変転するさまを描く物語の中心として、得体のしれないものの拠点、生命の湧いては消える場である池は、いかにもふさわしい。

 こう考えた上で、『欣求浄土』を読み返してみると、ここにも、以前読んだときにはわからなかったことだが、庭に関連する要素がたくさんふくまれていることに気づく。作者にかぎりなく近い存在である主人公の章は、樹木に強い関心を寄せていて、住まいに近い遠州の山々へ出かけては、地元の者や知り合いの案内で、珍しい大木などを訪ねる。山中の一本の木に意識を集めての観想は、それ自体、庭をつくり眺める者の態度に近い。

 そのなかに、まさに「土中の庭」と題された章がある。宇目山の頂上付近の、かつてひとが住んでいた痕跡のある平地へ行った体験が記されるのだが、ここに、池が出てくる。ただ出てくるだけではない。池のある庭の起源にまで思いを馳せる文章なのだ。

 山のなかに、なぜか平たく整えたような土地が出現する。埋まっている山茶碗のかけらは、奈良時代のものらしいが、それ以上のことは皆目不明だ。案内役の営林署員Aは、ほかにない種類の木がまとまって生えている一隅を指して、ここは庭だったのではないか、と言う。そして、池の跡のようなものもある、と、まるく窪んだ場所を指さす。

 言われればそうも見えるが、奈良時代に池庭というものはあったのかどうか、それにこういう水溜まりは自然にできることもある、と章は疑いつつも、「不思議な幻を見てきたような興奮」を覚え、帰宅後に『日本の庭』という手引書を読む。

 それによると、そもそも日本の庭は、家のまわりに小さな池を掘り、食用と観賞用を兼ねて鯉や鮒を放したのがはじまり、と推測されるようだ。そこから発展し、中国からの影響も加わって、飛鳥・奈良のころにはすでに、山を表現する岩や、池や滝や植えこみを配した、今日のものに近い庭がつくられていた。

 つまり、庭の誕生は、池とともにあった。遠い昔に土を掘って池をつくった人びとの影を、章は思い浮かべる。

 三年後、その宇目山を望む別の山へのぼった章に、山の持ち主である知人は、宇目山のものとそっくりな円形の窪みを見せる。ここはかつて池だったところで、鯉や鮒を放していた、と知人が言うのを聞いて、章は驚く。宇目山のあの窪みは、やはりAの言うように池の跡だったのか。そして、ふたつの池の跡は『日本の庭』に書かれていたとおりの、原初の池庭だったのか。

 帰り際、西日を浴びた宇目山を眺めつつ、章は、その山中に「円形の土の窪みが、かつて水を溢らせた遠い人間の生の痕跡として埋もれている」ことを思う。生命の湧く場としての池が、ここでは、遠い過去の記憶として想起される。

 ところで、池に関連して藤枝静男が頭に浮かんだのは、『田紳有楽』のせいだけではない。彼には『ヤゴの分際』という短篇集もあり、わたしはこの題名が気に入って、しばらく前に読んでいた。

 短篇「ヤゴの分際」の寺沢は(『欣求浄土』の章と同じく、作者の分身と考えてよい)、融通の利かない性格ゆえに息子と良好な関係を築けない自分を呪いつつ、縁側から狭い庭を眺める。「樋からの雨水が流れこむように作った一畳敷ほどの水槽」に、紅睡蓮が浮かび、小鮒が泳ぐのを見るうちに、終戦直後、米兵に卑屈な態度をとった自分を思い出し、自己嫌悪に苛まれる。そして、水槽の澄んだ水の底に溜まった泥を見つめながら、俺はトンボになれず醜い姿で這いまわるヤゴのようなものだ、と思う。

 正体不明の生きものが蠢く池は、見る者の精神を水底の濁りに投影する鏡面ともなるのだが、ここを読んで、わたしの思いは自分の庭に引き戻された。そうだ、寺沢の庭の水槽のように、樋の水を誘導し、雨のときだけ自然に水が入れ替わる池をつくる方法が、以前読んだ建築雑誌の記事にあった。これなら、水道の水を使うようなわざとらしさのないかたちで、カエルやトンボのいる池ができるのだ。やはり、そのうちに、誰かに相談してみて、池のある庭にしようか……と、本から目をあげて、わたしは冬枯れの庭を眺め、まだそこにない水辺の像を重ねてみる。

笠間直穂子(Naoko Kasama)

フランス語文学研究・翻訳。國學院大學文学部准教授。宮崎県串間市生れ。著書に、『文芸翻訳入門』(フィルムアート社、共著)、『文学とアダプテーション』(春風社、共著)他。訳書に、ンディアイ『心ふさがれて』(第十五回日仏翻訳文学賞)、『みんな友だち』(以上、インスクリプト)、『ねがいごと』(駿河台出版社)、モーパッサン『わたしたちの心』(岩波文庫)、フローベール『サランボー』(抄訳。集英社文庫、ポケットマスターピース 07)、シャルル・フェルディナン・ラミュ『パストラル──ラミュ短篇選』(東宣出版)、『詩人の訪れ 他三篇』(幻戯書房)、ジャン・フランソワ・ビレテール『北京での出会い/もうひとりのオーレリア』(みすず書房) 他。