©️Kasama Naoko

 家具を配置するのが得意なんだ、とNさんは言った。四半世紀前のことで、彼女は大学院の助手、わたしは学生だった。彼女の暮らすワンルームマンションは、たしかに、ただ壁沿いに家具を並べるのではなく、壁から離れた位置へ背中合わせに棚を置いて室内を区切り、動線をつけていく方法によって、入りきるとは思えない量の家具が、すっきりと納まっていた。

 コツは窓ぎわにベッドを置くこと。窓から遠い、奥まったところに置くひとが多いけど、窓のない壁は、本棚など背の高い家具の置き場所にしたほうがいい。それに、ベッドの傍に窓があれば、寝ながら空が見えるでしょ。

 自前の考えをきっぱりと述べつつ、相手が賛成してもしなくてもたいして気にしない、といった、いつもの風通しのよい言い方で、その物言いも、ひょっとすると窓ぎわにベッドを置く発想自体も、彼女がイタリアとフランスに育ったことと関係があるのかもしれないけれど、ともかく、この時のことは、なんとなく記憶に残って、その後は特段の支障がないかぎり、窓辺に寝台を寄せる癖がついた。いまは、窓の位置と軒の深さの関係で、横になったまま空を見あげることはないものの、外の明かりは、寝床のすぐ傍にある。窓は東向きで、朝は晴れれば布団に陽光が差し、月の夜はカーテンの隙間から入った月光が青白い筋を描く。

 寝室は二階にあるのだが、窓の前にはウメの大木が枝を伸ばしていて、ときには、留まりにくる鳥の鳴き声で目を覚ます。寝ながら耳を澄まして、スズメが来ているな、今度はシジュウカラだ、などと思うのだが、冬は、たまに普段と違う微かな鳴き声がすることもあり、そんなときは、気づかれないようそっとカーテンを開けると、白地に淡いピンクとグレーを刷いた、小さなまるい綿のようなエナガの群れが行き来している。

 ウメは遅咲きで、三月になってから本格的に咲き出す。薄紅色をした一重の花、アンズに似た大ぶりの実からして、豊後系と呼ばれる品種のようだ。満開になると、窓一面が花で埋まる。

 四角い窓ガラス一枚分の春の朝日が、淡紅色の花を照らしつつ、寝台の上へ差しこむのを見ると、写真に収めたいと、一瞬、思う。けれどもすぐに、これは自分が見た影像に近いかたちで撮影することのできないものだと気づいて、諦める。いや、諦めきれずにカメラを構えるときもあるのだが、案の定、うまくいかない。

 当たり前のことだが、ガラス越しの日射しが眩しい状態は、室内から見れば逆光にあたる。肉眼では、外のウメも、中の寝具も、きれいに見えるけれど、カメラのレンズだと、この明暗差では、外が白く写るか、中が黒く写るかのどちらかだ。といって、自動補正機能を駆使したいとは思わないし、あとから画像を加工する気もない。時間をおいて、太陽が移動するのを待てば、外と中の両方が写る穏やかな露出になるとはいえ、それでは窓が淡い桃色に発光して薄暗い部屋に明かりを投げる光景ではなくなってしまうから、意味がない。だから、ファインダーを覗くのはやめて、ただ、自分の目で、よく眺めておく。

 春の朝の寝室にかぎらない。窓は家の四方にあるので、時間帯によって日のあたる窓が移っていく。台所の流しに面した西向きの磨りガラスの窓は、手前がタイル敷きの台になっているため、庭で採ってきた野草や、料理用の香草を置いておくことが多いのだが、午後遅く、裏の藪からの木漏れ日が磨りガラスに差すと、一輪挿しに入れた五月のスイカズラや、大ぶりの花器に投げこんだ盛夏のフェンネルの束は、背後からの光に照らされて翳った分、少し灰色がかって、ぼんやりと、やわらかく見える。

 これらも、よく見て、記憶に留める。

 フランスに留学していた二十年ほど前、ほうぼうの美術館へ通ううちに、気になったことのひとつが、背景を明るい色調にして、手前の人物を薄暗く象る近代絵画作品の系譜だった。多くはないが、意識してみると、あれも、これもと、想像上のストックが溜まっていく。逆光の絵画史、といったものが書かれているのかどうか、当時、美術史に詳しい友人と話したかぎりでは、これといってないようだった。いま、あらためて検索してみても、少なくとも単純な書名検索では、なにも出てこない。

 西欧古典絵画の技法にのっとった十九世紀の画家、たとえばトマ・クチュールにも、逆光の肖像画があるのだが、もちろん、作例が増えるのは、光の見え方が主題化される印象派以降で、一人挙げるなら、やはり、ピエール・ボナール、ということになるだろう。

 ボナールは、《逆光の裸婦》、《逆光の自画像》と、題名自体に「逆光」をふくむ作品があり、またそれ以外にも、後景に光があふれ、前景が影になった作品をいくつも残している。四角い窓枠のなかにだけ明るい庭が見えて、それ以外は調度も人物も灰色にけぶった室内風景。あるいは、直射日光の差す戸外に、日陰を選んでしつらえた食卓の図もある。

 いずれも、翳った事物や人物は、強い日射しや鮮やかな色彩から、涼やかに隔てられ、守られている、という感じを受ける。そして、手前に描かれたひとやものが暗がりに守られているならば、それらを見る者もまた、同じ室内、同じ日陰の、近い位置にいて、外界から区切られた空間で、ともに守られていることになる。ボナールの逆光の表現は、彼の絵画が醸し出す、くつろいだ親密さと結びつく。

 他方、逆光を描いた絵画には、もうひとつ、印象派よりもずっと古い文脈がある。後光を背負った聖人や神仏の像だ。降臨した神を見る者にとって、神をつつむ後光は、当然、目を射る逆光になる。こちらは古今東西、無数の作例が挙げられるだろう。イコンの聖母や聖人たちの顔は、金箔によって表現された煌びやかな後光と対照的に、仄暗い。

 ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌから、オディロン・ルドンまで、十九世紀後半の象徴主義的と称される画家たちが、逆光につつまれた人物を描くのは、こうした宗教画的な表現の延長線上にあるものだろう。逆光は、その光を正面から浴びる者にとっては、非日常的な顕現のしるしとなり、光を背負って現れた者に、聖性ないし超越性を付与する。

 このような効果は、オノレ・ドーミエの《洗濯女》に、明瞭に見てとれる。洗濯物を片腕に抱えつつ、もう片方の手で子どもの手を引く女性の全身は、背後の白く光る街並みに囲まれて、一見、黒っぽい影のかたまりに見えるほど、暗く描かれる。この暗さは、労働に日々を暮らす女性のつつましさを表すとともに、後光をまとった聖母子像を連想させずにはいない。

 光を表現する印象派の流れと、聖性を表現する象徴派の流れ。こう辿ってみれば、印象派と象徴派の要素を綜合したナビ派の画家であったボナールが、逆光を目立って使用するのは、自然な成りゆきに思われてくる。

 昨年、翻訳刊行したジャン・フランソワ・ビレテール『もうひとりのオーレリア』は、北京で出会ってから半世紀をともに過ごした妻、文(ウェン)の突然の死に直面した著者が、危機に瀕する自らの精神を見つめたものだが、そのなかに何度か回想される妻の姿がある。彼女は、逆光のなかにいる。

十二月十一日 アヴィニョンの光景を絶えず思い出す。夏の終わり、わたしたちは教皇庁広場で昼食を摂っている。日陰にいる。彼女の着ている鮮やかな黄色のワンピースは、黒い髪と瞳、軽く日に灼けた肌の色調にぴったりだ。彼女の背後には、直射日光を浴びた教皇庁正面入口の壁面があり、つい先ほど、わたしはその全体を並外れて美しいと感じたのだった。背景の眩しい壁面と、自分たちのいる涼しい日陰とのあいだに、わたしは彼女がいることを感じるのだが、明確な彼女の影像を得るために必要な焦点深度をいくら探し求めても、うまくいかない。

 著者は、妻の記憶を呼び起こすとき、その姿かたちがいつもはっきりしないことに苛立つ。その歯痒い状態を象徴するのが、このアヴィニョンの思い出だ。ボナールの描いた庭の食卓に似て、背後に日なたの広場があり、手前に日陰に入った妻がいる。黒い瞳も黄色いワンピースも見えるのに、妻の面影は、まるでカメラの焦点が合わないかのように、よく見えない、と著者は感じる。

 どういう精神の作用によって、鮮明な妻の影像を回想することが妨げられるのか、その点について、著者が本文中で答えを見出すことはない。無論、わたしが著者に代わって答えうる性質のものでもない。ただ、絵画の例から引き出される逆光の意味合いと照らし合わせてみるならば、ビレテールの目に浮かぶ亡き妻が、日射しの強いアヴィニョンの広場の、日陰のテラスにいることには、一定の脈絡がある、と考えることはできる。

 光を背負い、日陰に守られて「焦点深度」が合わない彼女のありさまは、ボナールの絵画同様、見ている著者との親密な関係を示す。同時に、宗教画や象徴派絵画における後光の役割に倣えば、背後から照らされている状態は、彼女がすでに超越性を帯びた彼岸の住人であることを意味する。

 言い換えると、逆光のなかにいる彼女の姿が示唆するのは、彼女が近くにいるとともに、遠くにいる、ということだ。

 実際、著者はこのあと、近くて遠いどこかに彼女がいる、という状態を受け入れることを学んでいく。たとえば、仕事をしていて、背後に妻の気配を感じたら、いや彼女は死んだのだからそんなはずはない、などと打ち消すことはせず、そのままに放っておく。彼女の生前、互いに背中合わせで、相手の気配をなんとなく感じながら、それぞれの用事を進めていたときと変わらない、と思うようにする。こうして、妻の死を新たに確認するたびに襲ってくる衝撃を回避し、近さと遠さ、いることといないことが両立する場を措定することで、著者は精神の深淵を手なずけていくのだ。

 まぶしい、と言い、目がくらむ、と言う。明るすぎることは、暗すぎることに通じる。強い光は、もとより両義的なものだ。逆光の景色にわたしが惹かれるのは、見えることと見えないことの境に目を凝らすよう、迫られるせいなのかもしれない。

笠間直穂子(Naoko Kasama)

フランス語文学研究・翻訳。國學院大學文学部准教授。宮崎県串間市生れ。著書に、『文芸翻訳入門』(フィルムアート社、共著)、『文学とアダプテーション』(春風社、共著)他。訳書に、ンディアイ『心ふさがれて』(第十五回日仏翻訳文学賞)、『みんな友だち』(以上、インスクリプト)、『ねがいごと』(駿河台出版社)、モーパッサン『わたしたちの心』(岩波文庫)、フローベール『サランボー』(抄訳。集英社文庫、ポケットマスターピース 07)、シャルル・フェルディナン・ラミュ『パストラル──ラミュ短篇選』(東宣出版)、『詩人の訪れ 他三篇』(幻戯書房)、ジャン・フランソワ・ビレテール『北京での出会い/もうひとりのオーレリア』(みすず書房) 他。