中上健次論
渡邊英理 著
定価:本体4,000円+税
2022年7月19日書店発売
四六判角背上製 かがり綴カバー装 520頁
ISBN978-4-900997-86-8
装幀:間村俊一
カバー・口絵写真:小原佐和子
最難関のテクスト『熊野集』を中心に、『地の果て 至上の時』『千年の愉楽』など、路地を舞台とする中上健次の小説群に焦点をあて、それらを(再)開発文学の視座から捉えなおすことで、複数の方向に開かれた路地の「仮設」性に、脱国家・脱資本・脱人間主義を志向する〈路地のビジョン〉=中上思想の核心を見出すとともに、サバルタン研究、クィア批評を援用し、ポストヒューマンの哲学をも方法論的概念として取り込みつつ、犀利な読解によって、中上健次を現在に接続。「路地は状態としてみれば停滞であるが、「運動としてみれば抵抗である」(竹内好)」。没後三十年を期して贈る、俊英による新世代の思想゠文学論。
「路地は、極小であっても千年王国として、熊野と拮抗し、日本と拮抗したのである。」(中上健次)
「本書は、路地を舞台とする中上健次の小説群、路地小説をめぐって書かれている。路地とは、(再)開発を表象する空間であるが、同時に、(再)開発に抗する文学的かつ理論的な構え、思想的なビジョンである。ビジョンとしての路地の核心は、その「仮設」性に見出すことができる。[…]脱中心的で偶発性に開かれ、その未決の複数性と多義性ゆえに群れとして形象化されうる路地の「仮設」性は、[…](再)開発に対する抵抗性において、国家と資本に益する「生産性」へと還元されることを拒み、[…]それとは異なる社会のあり方を探求する構えでもある。したがって、中上の路地とは、国家に抗い資本に抗う、脱国家的かつ脱資本的な志向性をもつ社会として構想されていたと言えるだろう。」(本文より)
「中上の言葉が、その「失敗」の試みも含めて、この社会を息苦しく思う人々や資本と国家の圧政に抗して生きることを願う人びとにとって、この世界のあり方を問い、その生を支えるためのかけがえのない思想資源となりうる。本書の執筆を支えたこの確信に近い仮説は、書き終えたいまでも変わっていない。」(「あとがき」より)
はじめに
第一章 (再)開発文学/「戦後文学」と「はじまり」──「一番はじめの出来事」
一 「はじまり」と地図
二 〈秘密〉の避難所
三 未必の故意
四 忘却の記憶
五 記憶の身体
六 群れ・雑草・動物
第二章 動物と私のあいだ──「熊の背中に乗って」「鴉」
一 テクストの生態系
二 間にあるもの─動物と言葉
三 まなざしと「死の記号」─動物と「私」
第三章 性愛と争闘──「偸盗の桜」「鬼の話」
一 性・生・政
二 転換の時空─「偸盗の桜」
三 書かれぬ声・群れの女たち─「鬼の話」
第四章 被差別の人類学、賤者の精神分析──「石橋」
一 「問という大岩」
二 路地/部落と(再)開発の文脈
三 路地の「民族誌」と非規範的親族関係(クィア家族)
四 夢の言葉・夢幻能・精神分析
五 夢幻能と性/政治
第五章 (再)開発と「公共性」──「海神」
一 脱国家/脱資本的な社会
二 「無限のエコー」
三 謡曲と神話分析
四 被差別・土地・資本
五 〈路地の公共〉、共有地
六 治癒と「公共性」
第六章 路地・在日・スーパーマーケット──「海神」「石橋」「花郎」
一 「戦後」批判/(再)開発文学
二 在日朝鮮人の「スーパー・マーケットの天皇」
三 路地の「一九六八年」
四 「国民」という境界
第七章 媒介者の使命──「葺き籠り」
一 道路・スーパーマーケット・天皇
二 媒介者と侵入者
三 法の内と外
四 媒介の(不)可能性
第八章 生命の縁起、脱人間/人文主義──『千年の愉楽』
一 路地の「モダニズム」/「魔術的リアリズム」
二 資本・貨幣・生命
三 共訳不可能な「生」、脱人間/人文主義
第九章 仮設と雑草──『地の果て 至上の時』
一 仮設、隙間的な時間と空間
二 山林・街道・路地
三 草の葉とことの葉(言の葉・事の葉)
四 群れ、兄たち
五 水の花、雑草の火
註
あとがき
謝辞
初出一覧
細目次
索引
著者
渡邊英理(Watanabe, Eri)
熊本県菊池市生れ、鹿児島県霧島市・鹿児島市育ち。
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻単位取得後満期退学。博士(学術)。
現在、大阪大学大学院人文学研究科准教授。
編著書に『クリティカルワード文学理論』(三原芳秋・鵜戸聡との編著、フィルムアート社、二〇二〇年)。共著に『〈戦後文学〉の現在形』(平凡社、二〇二〇年)、『文学理論の名著50』(仮題)(平凡社、二〇二二年近刊)。他に「儚い者たちと相互扶助」(『現代思想』二〇〇七年三月号)、「批判としての小説─瀬戸内寂聴『夏の終り』」(『ユリイカ』二〇二二年三月臨時増刊)他多数。
TOP > New Publications > 中上健次論