私は大阪千里丘陵の、かつては陸の孤島と形容してもけっして誇張ではなかった、周囲とは切り離された小さな村に、代々の農家の長男として生まれた。もし村がそのときのままで残っていたなら、一人息子だった父親がそうだったように、私もまた農家をつぐことを求められていたにちがいない。しかし、決定的ともいえる変容がまだ学齢に達する前の1960年代初頭に村を襲い、それは70年代に入る頃にはその骨格においてほぼ完了していた。おかげで私は家業をつがないことに何の自責も感じずにすんだ。この変容(開発、都市化)の原因と過程は、この通信をこうして始めることになる主観的な理由の一つでもあり、おって仔細に報告したいと思うが、そもそもそうした過程に、その前史も含めて(すなわち村の歴史全体に)関心をもつ最大のきっかけとして、渡邊英理の『中上健次論』があったことは、まず先に記しておくべきだろう。
この書の最大の眼目はそこで提出される「(再)開発文学」というアイデアにあり、著者はそれを踏み台にして中上の作品群(主たるものをあげれば『熊野集』、『地の果て 至上の時』、『千年の愉楽』)の読み替え(再解釈)を試みている。注意すべきは、この読み替えによって浮かび上がってくる中上のテクストの「別の文様」は、中上の他の作品群にも及ぶだけではなく、当然、場所(とりわけ地形)と小説的想像力との関係という問題を通して、他の作家にも及んでいかざるをえないということである。例を挙げれば、大江健三郎の小説的想像力の核心に彼の生地である四国の谷間の村(大瀬)があることは誰でも知っているが、この村をめぐって書かれた大江の少なくない数の小説が渡邊のいう「(再)開発文学」としても読まれうることは、たとえば『懐かしい年への手紙』(1987)に書き込まれている語り手の、次のような述懐を読めば明らかではないだろうか。
谷間と「在」の地形を気をつけて見ると、むしろね、人が歩くことで道が踏みかためられるように、語り伝えられている出来事がそこで行なわれたことによって、この地形が出来あがった、というように感じたのさ。ところがいま森の高い所・深い所まで、自動車の通う道が造られて地形が変わりはじめているわけでね。そのうち地形を読むようにして、われわれの谷間と「在」の「永遠の夢の時」(ジ・エターナル・ドリーム・タイム)に起ったことを語るのは不可能になるだろうなあ。現在の自分の生き死にのモデルを読みとろうとしても、テキスト自体が破壊されているのではね。(『懐かしい年への手紙』講談社文芸文庫、154-155頁)
だがこの問題についてのさらなるコメントは別の機会にゆずり、いまはこの通信を書くことにした動機という点に話を限ろう。『中上健次論』のなかで、渡邊は次のように書いている。
「葺き籠り」における交通/交換は、まず、戦後日本の経済成長期の(再)開発と不可分な現象として捉えることができる。一九六四年の東京オリンピック、一九七〇年の大阪万博に向けて高速道路と新幹線が列島各地に張り巡らされる。(『中上健次論』インスクリプト、283頁)
「海神」の「公共性」論の射程は、この小説発表当時の文脈を参照することで、よりはっきりと浮かび上がる。今日では、「国家」の「公共性」の擬制を問い糾すクリティカルな批判用語「公共性」は、齋藤純一が指摘するように、かつて日本語において官製用語の一つであり、多くの人にとって否定的な響きを持っていた。[...]道場親信が述べるように、「公共事業への抵抗とは、最終的に土地収用法との闘いに至ることを意味する」。「公共事業だから「公共性」はあるのだというトートロジー、力による事業の推進、さらに交渉に応じなければ最後は強制収用という脅しのもとに地域が分断され、事業に直面した人々は人間的な苦難にも遭遇しなければならなかった」。(同書、186-187頁)
これを読んだときにすぐに感じたのは、これは私が生まれ育った村の歴史そのものではないのかという思いだった。冒頭に述べた村の変容は、郊外型大規模ニュータウン(公共事業として推進された)の日本における文字通りの先駆けである千里ニュータウンの開発と、その時点ですでに計画されていた大阪万博とその交通整備事業にダイレクトに関わっていたからである。後者の事業は、村を南北に貫き、新幹線の駅(新大阪駅)と万博会場、そして現在の中国自動車道を結ぶ道路、鉄道として実現した。それらの事業に伴い、村はその農地の多くを失い、縦に引き裂かれた。
私は小説家ではなく、中上や大江のように土地の精や古い伝承から汲んで普遍的な価値をもつ物語を作り出すことは到底出来ない。これからしてみたいと思うのは、伝聞も含め自身の僅かばかりの記憶と調べのついた限りでの書き残されたものから、実際に起こった変容の歴史と意味を考えてみるということだけである。それが私以外の誰かにとって何らかの価値(面白み)を持つことをもちろん望んではいるが、面白みが感じられなければただ読まれないだけなので、あまり心配しないことにする。
初回は予告編としてここまでに留めたいが、これだけだとなぜこの文が「農園通信」と題されているのかが不明だと思われるので、一言付け加えておこう。村には大きな変容の後も、減少し続けているとはいえ、ある規模の農地がまだ残っていて、私の家もそのいくばくかを保有してきた。父親の死後におとずれた農地維持の危機を何人ものひとの手を借りてなんとか今日まで繋いできたが、勤めていた大学を昨年の春に定年退職したのを機に、代々の家業に、まだ全面的にとはいえないが、「復帰」しようとしているということになる。土地は竹林と段々畑からなっていて、水田はない。筍が出る春を別にすれば、野菜と果樹の栽培が主である。この通信では農園での作業や種々の出来事、そしてそれらにともなう「よしなしごと」も合わせて随想風に記していくつもりである。回によってはそれが中心になるときも出てくるかもしれない。それゆえの「農園通信」である。
山田広昭(Hiroaki Yamada)
フランス文学、思想。東京大学名誉教授。大阪府生れ。著書に、『現代言語論』(共著、1990年)、『三点確保─ロマン主義とナショナリズム』(2001年。以上、新曜社)『可能なるアナキズム─マルセル・モースと贈与のモラル』(インスクリプト、2020年)など。
最近の論考に、「全般経済学と純粋アナーキー原理」(『はじまりのバタイユ』所収、法政大学出版局、2023年4月)、「希望の原理としての反復強迫」(『群像』2023年2月号)、「不順国神(まつろわぬくにつかみ)、あるいはセイタカアワダチソウと葛の間を歩む者──「絶対小説家」大江健三郎を悼む」(近刊。『ユリイカ』2023年7月臨増 総特集=大江健三郎)などがある。
訳書に、『ヴァレリー集成IV:精神の〈哲学〉』(編訳、筑摩書房、2011年)他。