他なる映画と 1・2
濱口竜介 著
定価:本体2,500円+税(1・2とも)
2024年7月上旬書店発売予定
四六判並製 仮フランス装
1:432頁 ISBN978-4-86784-006-1
2:384頁 ISBN978-4-86784-007-8
編集・デザイン:éditions azert
『ハッピーアワー』『寝ても覚めても』『ドライブ・マイ・カー』『偶然と想像』そして『悪は存在しない』の映画監督・濱口竜介による映画論を、全2冊に集成。1巻目の「映画講座」篇には、仙台・神戸・鎌倉・ソウルなどで開かれたレクチャーをまとめる(すべて初活字化)。映画史上の傑作・名作はいかに撮られてきたのか、その作劇と演出と演技へと迫る。2巻目は「映画批評」篇として、映画をつくりながら折々に発表してきた作品レビューや映画をめぐる論考・エッセーにくわえ、日本語未発表原稿や書き下ろし2篇(7万字に及ぶブレッソン『シネマトグラフ覚書』論ほか)も収録する。映画監督は、映画の何を見ているのか、ここにつまびらかになるだろう。
私の映画との関わり方、というのは何かと言うと、それはもちろんまず撮る人――この場合は監督として――ということです。そして、もう一つは、もしかしたらそれ以上に映画を見る人、ただの映画好き、一ファンとして、ということですね。映画好きが昂じてそれが職業になるところまで来たので、一応は人並み以上に好きなのだろう、とは思っています。ただ、そんな風に人並み以上に好きであるにもかかわらず、映画というのはどこか、徹頭徹尾私にとって「他・なるもの」であるようだ、というのがほとんど二十年近く映画と関わってきて、私が強く持っている感覚なんです。――「他なる映画と 第一回 映画の、ショットについて」より
「映画をこれまでほとんど見ていない」ような人でも理解できて、しかもその人をできるだけ自分の感じている「映画の面白さ」の深みへと連れて行けるように、という思いで構想した。――「まえがき」より
自分が文章を書くことでしようとしていたこと、それは、その作品なり作家なりの生産原理を摑むことだった。文章によって、その原理の核心を鷲摑みにすること。せめて尻尾だけでも摑んで離さないこと。――「あとがき」より
※書名は「たなるえいがと」と読みます。
【書評・短評、著者インタビュー・対談など】
▼書評・短評
谷昌親、『図書新聞』2024年10月26日号(3660号)、「他者との文通としての映画体験」
《本職は映画監督である濱口竜介によって、恐るべき書物が生み出されてしまった。世に映画本はそれこそあまた存在するが、映画監督みずからが映画に対する問いをここまで突き詰めた例は皆無と言っていいだろう。》《(…)そこで展開される映画についての考察は、凡百の映画批評や映画分析の追随を許さないほどの精緻さを極め、はるかな深みに達しているのだ。このような書物が出てしまったいま、映画批評家や映画研究者にやるべきことが残されているのかとの疑問すら浮かんでくるほどだ。》
佐藤元状、『キネマ旬報』2024年11月号(1951号)、「監督自身による、映画の神髄」
《(…)1巻が圧倒的に面白い。2巻も当然素晴らしい。(…)ここまで核心に迫ったエドワード・ヤン論を書ける映画批評家は、他にいない。「『東京物語』の原節子」も素晴らしい。こうした優れた映画批評が一冊にまとめられたことの意義は計り知れない。だが、1巻の映画講義がさらに魅力的なのは、こうした映画批評の最良の部分がより大きな映画史的な視点から立体的に描き出されている点にある。》
細馬宏通「他(た)は存在するか:濱口竜介『他なる映画と』書評」、インスクリプト・ウェブサイト、2024年10月9日
《タイトルの「他(た)」の音に表れているように、濱口による映画論の(そして映画の)特徴は、俳優の演技、とりわけ声の微細な音の変化に対する、鋭い感性である。そして声の訪(おとな)い方もまた、ただ声の音に執着するだけではなく、声が生み出された現場を想像する態度に支えられている。》
https://inscript.co.jp/contents/20241008
角井誠「「からだ」で書かれた物語:濱口竜介『他なる映画と』書評」、インスクリプト・ウェブサイト、2024年10月9日
《濱口の「からだ」を通して「書き取」られた映画の記述。驚かされるのは、その「書き取り」の精度である。かつてこれほどの精度で、一人の映画作家が自身や他の映画作家の制作について言語化したことがあっただろうか。》
https://inscript.co.jp/contents/20241009-2
高原到「「眠り」が目覚めさせた濱口映画の豊穣」、『週刊金曜日』2024年10月4日号(1491号)「きんようぶんか」欄
《旧作から才能に瞠目していた私にとり、膨大な書き下ろしを含む2冊の映画論の刊行は嬉しい衝撃と言うほかない。》《濱口監督自身の次回作がよりいっそう楽しみになる幸福な読書体験(…)》
斎藤環、『毎日新聞』2024年9月21日(朝刊)読書欄、「偶然性と他者性が生む奇跡的瞬間」
《実作者としての視点から顕微鏡で観察したように記述されるその批評には圧倒される。濱口はあたかも、フィルムには偶然や真実、ときには魂までもが映し込まれる可能性があると信じているかのようだ。》《演出は治療に似ている、などと陳腐な結論が言いたいわけではない。ここに至って濱口の映画論、演出論は、「人が人とかかわること」の根本条件にまで到達し得ているのだ。》
https://mainichi.jp/articles/20240921/ddm/015/070/023000c
⽚岡達美(⽂化部)、『神戸新聞』2024年9月14日(朝刊)読書面、「世界と交わる楽しさ縦横に」
《つまり映画は⼈間にとって「他なるもの」で、⾒逃すこともあれば、その世界と交わることもある。そんな経験としての映画の楽しみ⽅を語った本でもある。》
https://www.kobe-np.co.jp/news/culture/202409/0018116997.shtml
無署名、『日本経済新聞』2024年9月7日(朝刊)読書面、「分析と体験、絶妙の距離感」
《ショットを軸とした黒沢の教えを出発点としながら、自身が映画作りで獲得した演出論に大胆に踏み込む。体験に根差しながら、独善的な現場主義に陥らず、他者として映画を懐疑する。そんな絶妙な距離感が濱口映画の知的なアプローチにつながっているのがわかる。》
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO83291050W4A900C2MY6000/
三浦哲哉「Au hasard Hamaguchi」、『群像』2024年10月号(9月6日発売)「特集・濱口竜介」
《ここまでおもしろい映画論の本を読んだのはいったいいつ以来だろう。おもしろいというのはつまり、読み始めると止まらなくなり、読んでいる間中はらはらどきどきが持続し、随所で驚くべきできごとが起き(…)、発見がもたらされ(…)、手に汗を握り、読み終えると自分のからだの芯に鈍い興奮の余韻が残っている、というような意味だ。その興奮は格別な深度を持つ。(…)かくも圧倒的におもしろい映画論がいま世界に向けて刊行されたことを心から祝福したい。》
以下に転載(9月26日):https://gendai.media/articles/-/137692
★『群像』2024年10月号「特集・濱口竜介」目次
映画講座|濱口竜介「「見つめる」ということ:ビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』」
作家論|木下千花「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ:濱口竜介の映画世界における時空間とモノガミー」
作品論|伊藤亜紗「感嘆と咆哮」
作品論|藤井仁子「『悪は存在しない』の「わからなさ」について」
書評|三浦哲哉「Au hasard Hamaguchi」
北村匡平、『週刊読書人』2024年9月6日号、「身体を凝視すること、傾聴すること:濱口映画を味わい直すためのテキスト」
《本書が面白いのは、作品や作家を分析していながら、濱口竜介という一人の映画作家の制作実践が浮き彫りになっていく点である。いわば、観て批評するという受け手の視点に、(…)作り手の視線が織り込まれた二重の視線によって批評が立ち上がるのだ。》《(…)濱口ほど深く映画に向き合っている作家は数少ない。これほど誠実に映画に向き合い、画面を深く凝視し、音を真摯に傾聴する批評家はいないとさえいえる。読者は濱口竜介の創る映像世界の細部がなぜこれほど豊かなのかが、彼の映画を観る態度から見て取れるはずだ。》
遠藤京子/荒木重光、『EYESCREAM』2024年10月号(9月2日発売)、「あのカットの意味がわかる!映画ファン必携」「思考法や人となりまで伝わってくる濱口文体を愉しむ本」
《すごい情報量で、前半の表題の講演原稿だけでもこの価格を出す価値がある。(…)濱口作品だけでなく映画そのものを深く見ることができるようになる一冊。》(1について遠藤筆)、《(…)彼が書く映画についての文章は、タガが外れた愛だ。(…)その筆圧に圧倒される。》(2について荒木筆)
無署名、『東京新聞』2024年8月24日(朝刊)読書面
《濱口が映画で追究するのは「正確な偶然」を捉えることで、それを得るには他者を必要とするという子細な分析は目からうろこの面白さだ。》
髙橋佑弥・山本麻、『映画秘宝』2024年10月号(8月21日発売)、「放談 映画の本、みだれ撃ち! 第2回」
《それぞれ約400頁もあるのに2500円(+税)というのも映画本では相当リーズナブル。》《(…)念入りに説明がなされるから、濱口監督が画面をどのように見て、考えを積み上げていっているかも分かりやすくて、分析過程を辿るような感覚がある。》《まさに、長いあいだ関心を抱き続けている作品、血肉になっている作品を繰り返し見ることを通して、考え続けている感じがしますね。》《2冊を連続して読んで、ひさしぶりに「監督による批評」の本を読んだなという感覚はありました。》
北小路隆志、『intoxicate』171号(2024年8月20日)、「映画の「労働」をめぐる創造的な考察にしてスリリングなドキュメント!」
《演出はいかなる労働に従事し、俳優の労働と組み合わされ、観客はどんな労働をもってそれらの協働に応えるのか。ある作品や作家の「生産原理を摑む」ために書かれた本書は、映画の「労働」の在り方や創造性、そして困難を驚くべき密度で記述=分析し、その再構築を目指す試みともなる。》
以下に転載(9月17日):https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/39075
福嶋亮大、『朝日新聞』2024年8月10日(朝刊)読書面、「なぜ寝てしまうか 素朴な問いから」
《濱口竜介は今や押しも押されもせぬ国際的な映画監督となったが、彼のレクチャーと評論を集めた二冊組みの本書は、意外にも素朴な問いから始まる――なぜ映画を見ながら寝てしまうのか?》《ともかく本書には、やっかいな問題こそを面白がる一人の映像作家が克明に記録されている。その研究の軌道上には、相米慎二、小津、溝口、ロメール、三宅唱、ブレッソンらの特異な演出術が浮かぶだろう。》
https://book.asahi.com/article/15383257
鍵和田啓介、『POPEYE Web』2024年8月1日、「クーラーの効いた部屋でインプットに集中したい君に捧げる3冊。」
《彼が映画の批評文においても優れた功績を残してきていることは、まだあまり知られてないかもしれない。(…)小津安二郎の『麦秋』における杉村春子のひと言のセリフを巡って、ひたすら画面とだけ向き合い(ここ重要!)、その演出的な凄みを見出す筆致には畏怖を覚えるはず。》
https://popeyemagazine.jp/post-222135/
菊井崇史、『映画芸術』488号(2024年夏号、7月30日発売)、「「奇跡」を実証する映画とともに」
《映画の「奇跡」の所在といえばよいか、いかなるプロセス、準備、背景にそれが起きえたのかが各テキストに辿られるとき、濱口竜介が経験してきた映画を見ること、つくることの双方が論述を支えていることはいうまでもないが、方法論の検証のみにおさまらない彼の営為はおのずと、どこか生きることそのものの倫理をも想起させた。》
堀部篤史(誠光社)、『週刊読書人』2024年7月26日号、「2024年上半期の収穫から 44人へのアンケート」
《待望の評論集、濱口竜介『他なる映画と 1・2』は、優れた作り手は優れた批評家でもあることをも証明する一冊。》
▼著者インタビュー・対談など
『沖縄タイムス』『北日本新聞』『高知新聞』2024年9月14日、『神奈川新聞』『下野新聞』9月15日、『福井新聞』9月22日、『山陰中央新報』9月28日、『中部経済新聞』10月12日、『岐阜新聞』10月13日、いずれも朝刊読書面、「[書いた、思った、考えた]「他なる映画と」濱口竜介さん 鑑賞と撮影 往還しながら」(共同通信社配信記事、タイトルは掲載紙によって異同あり)
《世界の映画賞を席巻する濱口竜介監督だが、映画講座と批評をまとめた「他なる映画と」(1、2)を読むと、作品の鑑賞と撮影を往還しながら、試行錯誤して独自の映画論理を作り上げてきたことが分かる。「映画を作るとうまくいかないことが8割。見ることでどうしたらこんな映画ができるのかと思い、作ることがより楽しくなる」》
沖縄タイムス版:https://epaper.okinawatimes.co.jp/hv/index_viewer.html?pkg=jp.co.okinawatimes.viewer.pc&mcd=A0&npd=20240914&uid=None&tkn=None&pn=14
『文藝春秋』2024年10月号(9月10日発売)、「著者は語る 138」
《「この本に載せた自分の言葉に責任を取るつもりはないです。先に行くために置いていく言葉っていう感じで」あっけらかんと語る。(…)冒頭の発言の真意を聞くと(…)》
https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h8607
千葉雅也・濱口竜介「観賞と制作の深みへ」(『センスの哲学』刊行記念対談)、『文學界』2024年9月号(8月7日発売)
《話題の最新作『悪は存在しない』に続き、映画論『他なる映画と』全2冊を出版した濱口竜介監督との対談が実現。大学時代からの旧知の仲でもあるというふたりの待望の初対談は、「鑑賞と制作」(見ることと作ること)の深みへと展開した。》
https://bunshun.jp/articles/-/73276
『朝日新聞』2024年8月5日(朝刊)、「偶然はない?濱口監督の映画観 撮影中の映り込み、目の前に集中したなら」(「記者サロン」レポート記事)
《それにしても濱口監督の意向も踏まえて決めた「映画に偶然は存在しない」というタイトルは刺激的。(…)逆説的とも言えるタイトルは、濱口監督が師と仰ぐフランスのエリック・ロメール監督が語った言葉だという。「ロメールの映画はそれこそ、偶然が画面に満ちあふれています。しかし(…)」》
https://www.asahi.com/articles/DA3S16002540.html
★濱口竜介監督×記者サロン「映画に偶然は存在しない」、2024年10月5日配信終了
https://ciy.digital.asahi.com/ciy/11014198
『読売新聞』2024年7月30日(朝刊)文化面、「どこまでいっても映画は他者…濱口竜介監督 映画論集「他なる映画と」刊行」
《「映画を見て寝てしまったり、内容を覚えていなかったりということが、映画を見る体験の始まりの頃にたくさんあった。実は、いまだにそういうことはよくあるんです」冗談のように濱口さんは話すが、いたってまじめな話である。》
https://www.yomiuri.co.jp/culture/cinema/20240729-OYT8T50180/9
他なる映画と 1
まえがき
I
他なる映画と 第一回 映画の、ショットについて
他なる映画と 第二回 映画の、からだについて
他なる映画と 第三回 映画の、演技と演出について
II
偶然と想像
偶然を捉えること
III
改心を撮る――エリック・ロメールからフリッツ・ラングへ
復讐を描く――黒沢清からフリッツ・ラングへ
運命をつくる――フリッツ・ラングからエドワード・ヤンとクリント・イーストウッドへ
IV
複数の複数性――侯孝賢『悲情城市』
同期・連動・反復――小津安二郎『東京物語』
==========
他なる映画と 2
I
あるかなきか──相米慎二の問い
映画におけるISAウィルス問題に関する研究報告
ロメールと「死」にまつわる7章
II
『東京物語』の原節子
アンパン――『麦秋』の杉村春子
理想的な映像――『海とお月さまたち』の漁師さん
III
永遠のダンス、引力と斥力の間で――エリック・ロメール『我が至上の愛 アストレとセラドン』
「結婚」というフィクション――ジョナサン・デミ『レイチェルの結婚』
ただショットだけが――小津安二郎『鏡獅子』
too late, too early――ジョン・カサヴェテス『トゥー・レイト・ブルース』
力の前で――マノエル・ド・オリヴェイラ『家族の灯り』
ある演技の記録――ユベール・クナップ、アンドレ・S・ラバルト『ジョン・カサヴェテス』
〈世界〉を鍛造した男 あらゆる忘却と想起のために――エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件』
もぞもぞする映画(のために)――ティエリー・フレモー『リュミエール!』
曖昧さの絶対的な勝利――クリント・イーストウッド『15時17分、パリ行き』
身体をまさぐる――ジャン゠リュック・ゴダール『イメージの本』
どうやって、それを見せてもらうのか――ペドロ・コスタ『ヴィタリナ』
かわいい人――ギヨーム・ブラック『女っ気なし』
愛の映画――レオス・カラックス『ポンヌフの恋人』
The Art of Preparation――三宅唱『ケイコ 目を澄ませて』
希望は反復する――『エドワード・ヤンの恋愛時代』
ためらいの技術――小森はるか監督特集に寄せて
IV
手紙についての手紙
彼方への手紙――瀬田なつき『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』公開に寄せて
共に生きること――梅本洋一さんの言葉
あの街、この街――柴崎友香、相米慎二
三宅唱監督への10の公開質問――『きみの鳥はうたえる』をめぐって
遭遇と動揺――あるいは、蓮實重彦の「聞く視線」
曖昧な映画の書き手――アンドレ・バザンと俳優の声
聞くことが声をつくる――小野和子『あいたくて ききたくて 旅にでる』に寄せて
物語りについて
孤独が無数に、明瞭に
V
ある覚書についての覚書――ロベール・ブレッソンの方法
あとがき
索引
著者
濱口竜介(はまぐちりゅうすけ)
1978年生まれ。映画監督。
監督作品:
『何食わぬ顔』(2002年、98分、short version:2003年、43分)
『はじまり』(2005年、13分)
『Friend of the Night』(2005年、44分)
『遊撃』(2006年、17分)
『記憶の香り』(2006年、27分)
『SOLARIS』(2007年、90分)
『PASSION』(2008年、115分)
『永遠に君を愛す』(2009年、58分)
『THE DEPTHS』(2010年、121分)
『なみのおと』(酒井耕と共同監督、2011年、142分)
『明日のキス』(2012年、3分、オムニバス作品『明日』の一篇)
『親密さ』(2012年、255分、short version:2011年、136分)
『なみのこえ 新地町』(酒井耕と共同監督、2013年、109分)
『なみのこえ 気仙沼』(同上、2013年、103分)
『うたうひと』(同上、2013年、120分)
『不気味なものの肌に触れる』(2013年、54分)
『Dance for Nothing』(2013年、27分)
『ハッピーアワー』(2015年、317分)
『dance with OJ』(2015年、28分)
『天国はまだ遠い』(2016年、38分)
『寝ても覚めても』(2018年、119分)
『偶然と想像』(2021年、121分)
『ドライブ・マイ・カー』(2021年、179分)
『Walden』(2022年、2分)
『悪は存在しない』(2023年、106分)
『GIFT』(2023年、74分、石橋英子ライブ・パフォーマンス用映像)
脚本参加作品:
『スパイの妻』(黒沢清監督、2020年、野原位・黒沢清との共同脚本)
著書:
『カメラの前で演じること:映画「ハッピーアワー」テキスト集成』(高橋知由・野原位との共著、左右社、2015年)新地町新地町
▼書評・短評
谷昌親、『図書新聞』2024年10月26日号(3660号)、「他者との文通としての映画体験」
《本職は映画監督である濱口竜介によって、恐るべき書物が生み出されてしまった。世に映画本はそれこそあまた存在するが、映画監督みずからが映画に対する問いをここまで突き詰めた例は皆無と言っていいだろう。》《(…)そこで展開される映画についての考察は、凡百の映画批評や映画分析の追随を許さないほどの精緻さを極め、はるかな深みに達しているのだ。このような書物が出てしまったいま、映画批評家や映画研究者にやるべきことが残されているのかとの疑問すら浮かんでくるほどだ。》
佐藤元状、『キネマ旬報』2024年11月号(1951号)、「監督自身による、映画の神髄」
《(…)1巻が圧倒的に面白い。2巻も当然素晴らしい。(…)ここまで核心に迫ったエドワード・ヤン論を書ける映画批評家は、他にいない。「『東京物語』の原節子」も素晴らしい。こうした優れた映画批評が一冊にまとめられたことの意義は計り知れない。だが、1巻の映画講義がさらに魅力的なのは、こうした映画批評の最良の部分がより大きな映画史的な視点から立体的に描き出されている点にある。》
細馬宏通「他(た)は存在するか:濱口竜介『他なる映画と』書評」、インスクリプト・ウェブサイト、2024年10月9日
《タイトルの「他(た)」の音に表れているように、濱口による映画論の(そして映画の)特徴は、俳優の演技、とりわけ声の微細な音の変化に対する、鋭い感性である。そして声の訪(おとな)い方もまた、ただ声の音に執着するだけではなく、声が生み出された現場を想像する態度に支えられている。》
https://inscript.co.jp/contents/20241008
角井誠「「からだ」で書かれた物語:濱口竜介『他なる映画と』書評」、インスクリプト・ウェブサイト、2024年10月9日
《濱口の「からだ」を通して「書き取」られた映画の記述。驚かされるのは、その「書き取り」の精度である。かつてこれほどの精度で、一人の映画作家が自身や他の映画作家の制作について言語化したことがあっただろうか。》
https://inscript.co.jp/contents/20241009-2
高原到「「眠り」が目覚めさせた濱口映画の豊穣」、『週刊金曜日』2024年10月4日号(1491号)「きんようぶんか」欄
《旧作から才能に瞠目していた私にとり、膨大な書き下ろしを含む2冊の映画論の刊行は嬉しい衝撃と言うほかない。》《濱口監督自身の次回作がよりいっそう楽しみになる幸福な読書体験(…)》
斎藤環、『毎日新聞』2024年9月21日(朝刊)読書欄、「偶然性と他者性が生む奇跡的瞬間」
《実作者としての視点から顕微鏡で観察したように記述されるその批評には圧倒される。濱口はあたかも、フィルムには偶然や真実、ときには魂までもが映し込まれる可能性があると信じているかのようだ。》《演出は治療に似ている、などと陳腐な結論が言いたいわけではない。ここに至って濱口の映画論、演出論は、「人が人とかかわること」の根本条件にまで到達し得ているのだ。》
https://mainichi.jp/articles/20240921/ddm/015/070/023000c
⽚岡達美(⽂化部)、『神戸新聞』2024年9月14日(朝刊)読書面、「世界と交わる楽しさ縦横に」
《つまり映画は⼈間にとって「他なるもの」で、⾒逃すこともあれば、その世界と交わることもある。そんな経験としての映画の楽しみ⽅を語った本でもある。》
https://www.kobe-np.co.jp/news/culture/202409/0018116997.shtml
無署名、『日本経済新聞』2024年9月7日(朝刊)読書面、「分析と体験、絶妙の距離感」
《ショットを軸とした黒沢の教えを出発点としながら、自身が映画作りで獲得した演出論に大胆に踏み込む。体験に根差しながら、独善的な現場主義に陥らず、他者として映画を懐疑する。そんな絶妙な距離感が濱口映画の知的なアプローチにつながっているのがわかる。》
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO83291050W4A900C2MY6000/
三浦哲哉「Au hasard Hamaguchi」、『群像』2024年10月号(9月6日発売)「特集・濱口竜介」
《ここまでおもしろい映画論の本を読んだのはいったいいつ以来だろう。おもしろいというのはつまり、読み始めると止まらなくなり、読んでいる間中はらはらどきどきが持続し、随所で驚くべきできごとが起き(…)、発見がもたらされ(…)、手に汗を握り、読み終えると自分のからだの芯に鈍い興奮の余韻が残っている、というような意味だ。その興奮は格別な深度を持つ。(…)かくも圧倒的におもしろい映画論がいま世界に向けて刊行されたことを心から祝福したい。》
以下に転載(9月26日):https://gendai.media/articles/-/137692
★『群像』2024年10月号「特集・濱口竜介」目次
映画講座|濱口竜介「「見つめる」ということ:ビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』」
作家論|木下千花「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ:濱口竜介の映画世界における時空間とモノガミー」
作品論|伊藤亜紗「感嘆と咆哮」
作品論|藤井仁子「『悪は存在しない』の「わからなさ」について」
書評|三浦哲哉「Au hasard Hamaguchi」
北村匡平、『週刊読書人』2024年9月6日号、「身体を凝視すること、傾聴すること:濱口映画を味わい直すためのテキスト」
《本書が面白いのは、作品や作家を分析していながら、濱口竜介という一人の映画作家の制作実践が浮き彫りになっていく点である。いわば、観て批評するという受け手の視点に、(…)作り手の視線が織り込まれた二重の視線によって批評が立ち上がるのだ。》《(…)濱口ほど深く映画に向き合っている作家は数少ない。これほど誠実に映画に向き合い、画面を深く凝視し、音を真摯に傾聴する批評家はいないとさえいえる。読者は濱口竜介の創る映像世界の細部がなぜこれほど豊かなのかが、彼の映画を観る態度から見て取れるはずだ。》
遠藤京子/荒木重光、『EYESCREAM』2024年10月号(9月2日発売)、「あのカットの意味がわかる!映画ファン必携」「思考法や人となりまで伝わってくる濱口文体を愉しむ本」
《すごい情報量で、前半の表題の講演原稿だけでもこの価格を出す価値がある。(…)濱口作品だけでなく映画そのものを深く見ることができるようになる一冊。》(1について遠藤筆)、《(…)彼が書く映画についての文章は、タガが外れた愛だ。(…)その筆圧に圧倒される。》(2について荒木筆)
無署名、『東京新聞』2024年8月24日(朝刊)読書面
《濱口が映画で追究するのは「正確な偶然」を捉えることで、それを得るには他者を必要とするという子細な分析は目からうろこの面白さだ。》
髙橋佑弥・山本麻、『映画秘宝』2024年10月号(8月21日発売)、「放談 映画の本、みだれ撃ち! 第2回」
《それぞれ約400頁もあるのに2500円(+税)というのも映画本では相当リーズナブル。》《(…)念入りに説明がなされるから、濱口監督が画面をどのように見て、考えを積み上げていっているかも分かりやすくて、分析過程を辿るような感覚がある。》《まさに、長いあいだ関心を抱き続けている作品、血肉になっている作品を繰り返し見ることを通して、考え続けている感じがしますね。》《2冊を連続して読んで、ひさしぶりに「監督による批評」の本を読んだなという感覚はありました。》
北小路隆志、『intoxicate』171号(2024年8月20日)、「映画の「労働」をめぐる創造的な考察にしてスリリングなドキュメント!」
《演出はいかなる労働に従事し、俳優の労働と組み合わされ、観客はどんな労働をもってそれらの協働に応えるのか。ある作品や作家の「生産原理を摑む」ために書かれた本書は、映画の「労働」の在り方や創造性、そして困難を驚くべき密度で記述=分析し、その再構築を目指す試みともなる。》
以下に転載(9月17日):https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/39075
福嶋亮大、『朝日新聞』2024年8月10日(朝刊)読書面、「なぜ寝てしまうか 素朴な問いから」
《濱口竜介は今や押しも押されもせぬ国際的な映画監督となったが、彼のレクチャーと評論を集めた二冊組みの本書は、意外にも素朴な問いから始まる――なぜ映画を見ながら寝てしまうのか?》《ともかく本書には、やっかいな問題こそを面白がる一人の映像作家が克明に記録されている。その研究の軌道上には、相米慎二、小津、溝口、ロメール、三宅唱、ブレッソンらの特異な演出術が浮かぶだろう。》
https://book.asahi.com/article/15383257
鍵和田啓介、『POPEYE Web』2024年8月1日、「クーラーの効いた部屋でインプットに集中したい君に捧げる3冊。」
《彼が映画の批評文においても優れた功績を残してきていることは、まだあまり知られてないかもしれない。(…)小津安二郎の『麦秋』における杉村春子のひと言のセリフを巡って、ひたすら画面とだけ向き合い(ここ重要!)、その演出的な凄みを見出す筆致には畏怖を覚えるはず。》
https://popeyemagazine.jp/post-222135/
菊井崇史、『映画芸術』488号(2024年夏号、7月30日発売)、「「奇跡」を実証する映画とともに」
《映画の「奇跡」の所在といえばよいか、いかなるプロセス、準備、背景にそれが起きえたのかが各テキストに辿られるとき、濱口竜介が経験してきた映画を見ること、つくることの双方が論述を支えていることはいうまでもないが、方法論の検証のみにおさまらない彼の営為はおのずと、どこか生きることそのものの倫理をも想起させた。》
堀部篤史(誠光社)、『週刊読書人』2024年7月26日、「2024年上半期の収穫から 44人へのアンケート」
《待望の評論集、濱口竜介『他なる映画と 1・2』は、優れた作り手は優れた批評家でもあることをも証明する一冊。》
▼著者インタビュー・対談など
『沖縄タイムス』『北日本新聞』『高知新聞』2024年9月14日、『神奈川新聞』『下野新聞』9月15日、『福井新聞』9月22日、『山陰中央新報』9月28日、いずれも朝刊読書面、「[書いた、思った、考えた]「他なる映画と」濱口竜介さん 鑑賞と撮影 往還しながら」(共同通信社配信記事、タイトルは掲載紙によって異同あり)
《世界の映画賞を席巻する濱口竜介監督だが、映画講座と批評をまとめた「他なる映画と」(1、2)を読むと、作品の鑑賞と撮影を往還しながら、試行錯誤して独自の映画論理を作り上げてきたことが分かる。「映画を作るとうまくいかないことが8割。見ることでどうしたらこんな映画ができるのかと思い、作ることがより楽しくなる」》
沖縄タイムス版:https://epaper.okinawatimes.co.jp/hv/index_viewer.html?pkg=jp.co.okinawatimes.viewer.pc&mcd=A0&npd=20240914&uid=None&tkn=None&pn=14
『文藝春秋』2024年10月号(9月10日発売)、「著者は語る 138」
《「この本に載せた自分の言葉に責任を取るつもりはないです。先に行くために置いていく言葉っていう感じで」あっけらかんと語る。(…)冒頭の発言の真意を聞くと(…)》
https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h8607
千葉雅也・濱口竜介「観賞と制作の深みへ」(『センスの哲学』刊行記念対談)、『文學界』2024年9月号(8月7日発売)
《話題の最新作『悪は存在しない』に続き、映画論『他なる映画と』全2冊を出版した濱口竜介監督との対談が実現。大学時代からの旧知の仲でもあるというふたりの待望の初対談は、「鑑賞と制作」(見ることと作ること)の深みへと展開した。》
https://bunshun.jp/articles/-/73276
『朝日新聞』2024年8月5日(朝刊)、「偶然はない?濱口監督の映画観 撮影中の映り込み、目の前に集中したなら」(「記者サロン」レポート記事)
《それにしても濱口監督の意向も踏まえて決めた「映画に偶然は存在しない」というタイトルは刺激的。(…)逆説的とも言えるタイトルは、濱口監督が師と仰ぐフランスのエリック・ロメール監督が語った言葉だという。「ロメールの映画はそれこそ、偶然が画面に満ちあふれています。しかし(…)」》
https://www.asahi.com/articles/DA3S16002540.html
★濱口竜介監督×記者サロン「映画に偶然は存在しない」、2024年10月5日配信終了
https://ciy.digital.asahi.com/ciy/11014198
『読売新聞』2024年7月30日(朝刊)文化面、「どこまでいっても映画は他者…濱口竜介監督 映画論集「他なる映画と」刊行」
《「映画を見て寝てしまったり、内容を覚えていなかったりということが、映画を見る体験の始まりの頃にたくさんあった。実は、いまだにそういうことはよくあるんです」冗談のように濱口さんは話すが、いたってまじめな話である。》
https://www.yomiuri.co.jp/culture/cinema/20240729-OYT8T50180/9
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