連載|COVER STORIES 03

自然のアナキズム

 南米大陸のエクアドルは、赤道上に位置している。世界地図を開くとアフリカではガボン、アジアではインドネシアなどが緯度ゼロ地帯を国土に持つが、国名として採用したのはエクアドルだけで、それがこの国の特徴のひとつともなっている。首都はアンデス山脈の高地都市キトだが、最大の都市は太平洋沿岸のグアヤキルである。そのグアヤキルは3月下旬、新型コロナウイルス感染拡大によって、一時、壊滅的な状況に陥った。病院医療が崩壊し、遺体が路上に放置される衝撃的な光景が伝えられた。わたしはエクアドルの感染者第1号がグアヤキルの女性だったこと、彼女は2月末にスペインから帰国したことなどを知って、あらためてエクアドルとアンデス諸国について考えさせられたのだった。

©︎Chihiro Minato

 首都のキトではなく、グアヤキルから感染が拡大した理由には、赤道という条件があるように思う。すでに広く報じられているように、ヨーロッパに新型コロナウイルスが入ってきたタイミングは、2月から3月にかけてのバカンス・シーズンだった。ベネチアでは恒例のカルナバルが途中で中止に追い込まれたが、多かれ少なかれヨーロッパではどこでも、休暇を楽しむ観光客の集団を通して、いっきに広まっていった。
 エクアドルは国のなかに北半球と南半球を含んでおり、それが生活に微妙な影響を与えている。たとえばバカンスの取り方にも違いがあり、首都キトは日本やアメリカのように、7月と8月が夏季休暇になる。つまり夏休みに関するかぎり、キトは「北」。ところがグアヤキルはブラジルをはじめとした南米諸国のように、2月から3月がバカンスシーズンである。グアヤキルの女性はおそらくバカンスに合わせて、スペインを訪れていたのだろう。
 スペインには、300万人以上のエクアドル人が生活していると言われる。中南米からヨーロッパに移住した、あるいは出稼ぎで滞在している家族を訪ねるには、よいシーズンなのである。いっぽう北半球に住んでいるエクアドル人は、ちょうどカルナバルのシーズンに合わせて里帰りする。地理的条件に加えて、植民地時代以降の宗教や習慣が、2月から3月という季節の変わり目にあたる時期の、集団の行動に少なからぬ影響を及ぼしたと言えるだろう。グアヤキルがあるグアヤス県では、4月4日に一日778人が亡くなり、一週間後には国全体にそれが2000人を超え、そのさらに10日後には7000人という最悪の事態に陥った。エクアドルの惨状が世界に伝えられたのもこの時期である。

 いっぽうキトはアンデス山脈のなかにある、標高 2,850 mの高地都市である。 ペルーのクスコなどと並んで、インカ帝国時代の都市構造の上に、植民地時代の教会をはじめとした建物が残り、キトの旧市街は世界遺産に登録されている。キトが政治と文化の中心とするなら、同国最大の港を要するグアヤキルは経済の中心であり、政治的には長年ライバルの関係にもある。このことが新型コロナへの政府の対応に影を落として、対策の遅れにもつながったことが指摘されていた。
 さらにエクアドルを複雑にしているのは、同国の東側に広がるアマゾン高地地帯である。国内最高峰のチンボラソ山は6300メートルだが、アンデス山脈の山麓から流れ出す無数の川はアマゾン川の支流となって、ペルーとブラジルを横切ってゆく。ちなみに野生のランが咲き乱れるジャングルから万年雪の頂きを仰ぐという、異様な風景に魅了されたヨーロッパ人のひとりが、アレクサンダー・フンボルトだった。エクアドルを大きく3つに分けると、アンデス山脈、太平洋沿岸地帯、さらに熱帯雨林地帯になるのだが、自然環境も歴史も大きく異なるそれぞれの地域に、ウイルスは拡散していったのだ。
 わたしがこのように変化に富む地形と歴史に驚きながら、エクアドルを南北に縦断し、また東西に横断したのは、1990年から91年にことである。アンデス諸国を訪れるのは1983年以来のことだったが、10年もたたないうちにさまざまな変化を見せていたことを覚えている。今回の表紙の写真は、91年に縦断したアンデス山中の村市場で撮影した一枚である。

©︎Chihiro Minato

 エクアドルの感染状況に関して、わたしが興味をもったのはグアヤキルやキトに比較して、アマゾン地域では感染者数が少ないことだった。アマゾン地域には多くの先住民族のコミュニティがある。あくまで相対的な数字だが、5月末の段階で全国では3万人を超えていたのに対して、アマゾン地域では500人程度と見積もられていた。この極端な差の理由は、大都市からの距離と、おそらくは人口密度の低さにあるだろう。
 だが、「エクアドル先住民族連合」、略称CONAIEは政府とは独自に、保健上の緊急事態宣言を発令した。CONAIEのバルガス会長によれば、政府による外出禁止令にもかかわらず、この地域にウイルスが持ち込まれたのは、熱帯雨林の木材を扱う企業が法令を遵守せずに、取引を続けたためではないかと言う。
 CONAIEは1986年に設立された、エクアドル最大の先住民族組織で、デモや道路の封鎖をはじめとした直接行動を通して、権力と対峙していたことで知られている。わたしがこの組織のことを知ったのは、1990年彼らが先住民の土地権利回復を要求して、首都キトを行進し、中心の教会聖ドミンゴ教会を占拠したときだった。それはコロンブスによる「新大陸発見500年」に合わせた運動であり、その後につづく中南米諸国の先住民会議の行動や権利概念の更新に、大きな影響を与えてゆくきっかけにもなったのだった。
(この項 つづく)

©︎Chihiro Minato

港千尋(Chihiro Minato)

写真家、映像人類学。多摩美術大学情報デザイン学科教授。2007年、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー、2012年台北ビエンナーレの協同キュレーションを行う。2014年、あいちトリエンナーレ2016芸術監督。
主な著書・写真集に、『群衆論─20世紀ピクチャーセオリー』(リブロポート、1991╱ちくま学芸文庫、2002)、『考える皮膚』(青土社、1993)、『注視者の日記』(みすず書房、1995)、『記憶─「創造」と「想起」の力』(講談社、1996、サントリー学芸賞)、『映像論─〈光の世紀〉から〈記憶の世紀〉へ』(日本放送出版協会、1998)、『予兆としての写真─映像原論』(岩波書店、2000)『瞬間の山─形態創出と聖性』(写真集、インスクリプト、2001)、『洞窟へ─心とイメージのアルケオロジー』(せりか書房、2001)、『文字の母たち』(写真集、インスクリプト、2007)、『芸術回帰論─イメージは世界をつなぐ』(平凡社新書、2012)、『革命のつくり方』(インスクリプト、2014)、『風景論』(中央公論新社、2019)他多数。